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嵐の使者 ~ 無視されたのはリッチー・ブラックモアの方だった?

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 皆さん、ご機嫌よう! タカミックスです。今回は1974年11月に発売された第三期ディープ・パープルのスタジオアルバム2作目である『嵐の使者』についてです。

 そんなアルバム内容だけなら世間で言われている程に悪くないアルバムの『嵐の使者』とは?

 それでは行ってみまShow!

ファンク&ソウル

 『紫の炎』で華麗なる復活を果した第三期ディープ・パープルでしたが、何気にオープニングナンバーを抜かせば、アルバム『紫の炎』はさり気なくファンク&ソウルを感じさせるアルバムでした。

 そして第三期ディープ・パープルのスタジオアルバム2作目となる嵐の使者ではファンク&ソウルなグルーヴを持つ新加入組、特にグレン・ヒューズの主張が出始めました。

 元々グレン・ヒューズはポール・ロジャースの加入が流れ、第三期ディープ・パープルのリードボーカル不在時には自分が歌う気満々であったりして、実力に裏打ちされた非常に強い自己主張を持つ人間でした。

 なので紫の炎の成功で気を良くしたグレン・ヒューズは、更に自分のバックグラウンドであるファンク&ソウルのグルーヴを押し出して来たのです。

アルバムジャケット

 この嵐の使者でのアルバムジャケット、実はコレ実際の写真を加工した物だとはあまり知られていません(そうでもないか?)

 まぁ、ジャズ聴く人なら御大マイルス・デイビスが発表したジャズ史上で革命的な作品と言われる『ビッチェズ・ブリュー』の嵐を見て分かったかもしれませんが…

 この嵐の写真は1927年、ミネソタ州のジャスパー近辺にて女性カメラマンのルシール・ハンドバーグによって撮影されました。写真は1936年カメラがカラー化する前(映画用が1935年カラー化)に撮影されたので当然白黒写真です。

Jasper Tornado

Words and Music

 元々ディープ・パープルというバンドは。作詞は基本的にボーカルがしており、作曲に関してはジャムセッションから曲を作るバンドでした。なので基本的に作曲者名にはバンドメンバー全員の名前が記されます。

 第三期ディープ・パープルのアルバム『紫の炎』に関してはグレン・ヒューズも作曲に携わっていましたが、グレン・ヒューズのみ契約上の問題から作曲者名にクレジットされていませんでした。

 そんな作曲者名にクレジットされていなかったグレン・ヒューズでしたが契約問題も解決し、嵐の使者からは無事作曲者名に名を連ねることとなります。

 そのアルバム嵐の使者では作曲者名に少し変わったことが起こりました。

曲名作曲者
1嵐の使者ブラックモア/カヴァデール
2愛は何よりも強くブラックモア/カヴァデール/ヒューズ/ロード/ペイス
3聖人カヴァデール/ヒューズ/ロード
4ホールド・オンカヴァデール/ヒューズ/ロード/ペイス
5嵐の女ブラックモア/カヴァデール
6ユー・キャント・ドゥー・イット・ライトブラックモア/カヴァデール/ヒューズ
7ハイ・ボール・シューターブラックモア/カヴァデール/ヒューズ/ロード/ペイス
8ジブシーブラックモア/カヴァデール/ヒューズ/ロード/ペイス
9幸運な兵士ブラックモア/カヴァデール
アルバム『嵐の使者』 作曲者名

作曲者から外れる

 アルバム嵐の使者では3曲目と4曲目である『聖人』『ホールド・オン』の作曲者名からディープ・パープルサウンドの核を握っていたリッチー・ブラックモアの名前が消えているのです。

聖人

 まずグレン・ヒューズがソロで歌うバラード『聖人』ですが今までのディープ・パープルのバラードと比べるとファンク&ソウルな趣の強い楽曲となっております。

聖人

ホールド・オン

 そして楽曲自体はロックな『ホールド・オン』ですが、ボーカルのデヴィット・カヴァデールのパートはブルージーでソウルフルに、グレン・ヒューズのパートはソウルフルでファンキーな歌となっています。

恋愛の歌だよな…

 この『ホールド・オン』はリッチー・ブラックモアがギターを弾きたくないと駄々をこねたそうで、嘘かホントか親指一本でギターソロを弾いたとかいう話があるくらいです。

ファンク&ソウルは受け入れてやる、その代わりに…

 このアルバムでは従来のハードロック路線を突き進めようとするリッチー・ブラックモアとファンク&ソウル路線の新機軸を打ち出したいデヴィット・カヴァデールとグレン・ヒューズの意見が対立し始めます。

 もとよりファンクミュージックが好きではないリッチー・ブラックモアは新加入組の意見に反対しますが、新加入組の主張は変わりませんでした。

 なので特にグレン・ヒューズの主張するファンク路線が嫌いなリッチー・ブラックモアは嵐の使者に収められている『聖人』と『ホールド・オン』の作曲には一切携わっていないのでした。

 当たり前ですが第三期ディープ・パープルはリッチー・ブラックモアのためだけにあるバンドではありません。渋々ながら『聖人』と『ホールド・オン』を新アルバムに収録することに納得した(させられた)リッチー・ブラックモアは「分かった、お前らの言い分は聞いてやるから『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』も新アルバムに入れてくれ!」と言い出しました。

 この『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』とは1970年に発売されたクォーターマスの曲となります。

黒い羊

 『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』は直訳すると「家族の黒い羊」なのですが、ブラック・シープは“嫌われ者、厄介者”と言う意味です。

 あからさまにリッチー・ブラックモアの自虐が込められたタイトル曲です。

厄介者…?

 しかしディープ・パープル側はデヴィット・カヴァデールとグレン・ヒューズの意見は聞き入れてもリッチー・ブラックモアの意見を聞き入れることはありませんでした。

リッチー・ブラックモアはレコーディングでやる気なし

 この様にディープ・パープルの古参メンバーであるジョン・ロードとイアン・ペイスはデヴィット・カヴァデールとグレン・ヒューズの意見を受け入れているのに対し、リッチー・ブラックモアは自分のやりたい曲すら認めてもらえなくなったことで一気にやる気を失いました。

 そしてリッチー・ブラックモアは嵐の使者のレコーディングですら惰性でギターを弾いていたそうです。

やる気なし

作品自体は良い

 レコーディング中からやる気のなかったリッチー・ブラックモアは発売前から『嵐の使者』を酷評していました。

 しかしアルバム自体に目を向ければ、デヴィット・カヴァデールとグレン・ヒューズのボーカルを堪能できるので決して悪い出来ではありません。曲調も新基軸を打ち出しだディープ・パープルのファンク&ソウル風味ハードロックと言った感じでしょうか?

ファンク&ソウル!

 流し聞きと言う表現は向かないかもしれませんが、タカミックス的には気楽に流し聞きできるアルバムです。

売り上げは?

 『嵐の使者』の売上は余り良くありませんでした。実際に第二期ディープ・パープルの『紫の肖像』よりもイギリス&アメリカではチャート順位は低かったのです。

 別に発売前からリッチー・ブラックモアが酷評していたから、と言う訳でもないのでしょうが、確かし嵐の使者でのリッチー・ブラックモアのギタープレイはピリッとせず、どこか気の抜けた感じがします。

 もっとも本人が「一切やる気がなかった」と言っているので当たり前なのですが…

遂に脱退

 このアルバム『嵐の使者』に『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』を入れることのできなかったリッチー・ブラックモアは数々の不満が募っていきます。

 そしてレコーディング終了後に予定されていたアメリカツアーがキャンセルされ、リッチー・ブラックモアはその時間を利用してソロシングルのレコーディングを行いました。

 そしてソロシングルのレコーディング後、遂にリッチー・ブラックモアはディープ・パープルを脱退してしまいます。

 次回はリッチー・ブラックモアのディープ・パープル脱退の引き金となった『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』について解説します。

一旦は… おしまい

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