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実はアメリカでのチャート最上位作品! レインボー『銀嶺の覇者』

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皆さん、ご機嫌よう! タカミックスです。

今回はリッチー・ブラックモアがディープ・パープルを脱退後に作ったバンド『リッチー・ブラックモアズ・レインボー』 のファーストアルバム『Ritchie Blackmore’s Rainbow』についてです。

今記事ではバンドであるリッチー・ブラックモアズ・レインボーを『レインボー』に、アルバムRitchie Blackmore’s Rainbowを邦題である『銀色の覇者』と表記します。

それでは行ってみまShow!

銀嶺の覇者

レインボーのファーストアルバム『銀嶺の覇者』(1975年7月発売、チャート全英11位、全米30位記録)で、アルバムに表記されているタイトルは原題の『RITCHIE BLACKMORE’S R-a-I-N-B-O-W』です。しかし、何でアルバム表記でのレインボーの『a』だけが小文字なんでしょうかね?

aだけ小文字

またアルバムジャケットに描かれている虹は5色で描かれています。日本では虹を7色で表しますがアメリカやイギリスは6色なんです。なのでレインボーはメンバーの人数に合わせて5色にしたのかな? と勝手に思っています。

細かいツッコミは置いといて、後年の様式美ハードロックバンドであったレインボーを知っている人からすると、この『銀嶺の覇者』は非常に大人しい曲が多いです。と言うか、肩透かしを食うアルバムです。

肩透かし?


レインボーのデビューアルバム『銀嶺の覇者』は、リッチー・ブラックモアがディープ・パープルを脱退後に制作した作品であり、ハードロック・バンドのアルバムとして期待値が非常に高いアルバムでした。

ディープ・パープル時代のリッチー・ブラックモアは、第二期ディープ・パープルで『Machine Head』(1972年3月発売、チャート全英1位、全米7位記録)や『Made in Japan』(1972年12月発売、チャート全英16位、全米6位を記録)、そして第三期ディープ・パープルでの『Burn』(1974年2月発売、チャート全英3位、全米9位記録)など、ハードロックの金字塔とも言えるアルバムを生み出しており、リッチー・ブラックモアが作り出す音楽性とギタープレイは大胆かつ革新的でありました。

これらのアルバムでは、バンド全体で創り上げるテクニックと即興性に裏付けされた演奏で、非常に緊張感のあるバンドサウンドを生み出していました。

リッチー・ブラックモア

しかし、レインボーの『銀嶺の覇者』において『Man On The Silver Mountain』や『Catch the Rainbow』は個々に優れた楽曲として評価されるものの、全体としてのアルバムの一貫性には欠けているというか、おとなしめと言うか、迫力がないと言うか… 少なくともハードロックバンド・レインボーを期待して聴くと、いまいちピリッとしないアルバムと感じてしまいます。

迫力がないのはBPMのせい?

タカミックスが、『銀嶺の覇者』を聴いて思ったのが、速い曲がないな… でした。インパクトって意味では“速い”とか“重い” “安い” ってのは意外と重要だと思うんですよね。

これってBPMで分かるんですけど、『銀嶺の覇者』での楽曲の平均テンポはBPM120程度なんですよね。これはディープ・パープルのBPM が170の『Highway Star』やBPM が197の『Burn』と比較すると明らかに低いです。

このテンポの差は、アルバム全体の「鬼気迫る」サウンドではないと感じさせる一因だと思っています。

またリッチー・ブラックモアのギターが前面に出てるとは言え、タカミックスみたく『銀嶺の覇者』からインパクトを感じなかった人間からすると、「う〜ん、確かにギターは良いんだろうけど…?」 と首を捻ってしまう作品なんですよね。

微妙なイメージ?

あと居るんだか居ないんだか分かんないキーボードや、リズムセクションが比較的控え… と言うかミックスで軽くしすぎ(エッジが立ってない)であることも、サウンドの豪快さを減じています。

もっとも『銀嶺の覇者』は一部の批評家が絶賛していましたし、リッチー・フリークが諸手を挙げて称賛していました。しかし、厨二病感溢れる血気盛んなロックキッズ、または一般的なロックファンからすると肩透かし的なアルバムであったのでは? と思っています。

何にせよ様式美ハードロックバンド・レインボーを期待して聴くと、『銀嶺の覇者』では微妙なイメージを抱いてしまう、と言うのが正直な感想ではないでしょうか?

ロニー・ジェイムス・ディオ

レインボーのデビューアルバム『銀色の覇者』の魅力

リッチー・ブラックモアの音楽的な影響を色濃く反映したアルバム『銀色の覇者』の楽曲解説をしたいと思います。

Man On The Silver Mountain

『Man On The Silver Mountain』はレインボーを象徴する曲として、その後のハードロックシーンに多大な影響を与えています。この曲は、リッチー・ブラックモアの強力なギターリフとギターソロ、ロニー・ジェイムス・ディオの力強いボーカルが融合したもので、多くのミュージシャンにインスピレーションを提供しました… のか?

それ、絶対ライブバージョンの話だよね?

だってこの曲、タカミックスがアルバム『銀嶺の覇者』で最初に聴いた時にピンと来なかったもの!

それがライブ版での『Man On The Silver Mountain』で聴いた時、タカミックスは余りのパワフルさに打っ飛びましたもの! また、その頃のドラムがコージー・パウエルだったのでパワフルさに磨きが掛っていたのもありましたが…

Catch The Rainbow

『Catch The Rainbow』は、その美しいメロディとロニーの感動的なボーカルパフォーマンスが特徴のバラードです。この曲はレインボーの多様な音楽性を示す一例として、しばしばクラシックロックの名バラードに数えられます。

楽曲の構造は比較的シンプルながら、その情感溢れる展開は聴く者の心を深く打ち、多くのカバーバージョンが制作されるほどの影響力を持っています。

Temple of the King

『Temple of the King』は、アコースティックギターの優美な旋律とロニーの哲学的な歌詞が融合した楽曲です。この曲ではリッチーのクラシカルな音楽への造詣が色濃く反映されており、中世ヨーロッパの詩的なイメージを彷彿とさせます。

リッチーの洗練されたギターワークとロニーの表現力豊かなボーカルが、聴く者に深い感動を与えることで知られています。この曲の持つ独特の雰囲気は、レインボーの楽曲の中でも特に際立っており、ファンの間で高い評価を受け続けています。

Temple of the King

エルフっぽい『IF YOU DON’T LIKE ROCK ‘N’ ROLL』

実はこの曲が、エルフとしての過去の音楽的背景が色濃く反映されてる曲なんだろうな? とタカミックスは勝手に思っています。カントリーロックの影響下にあるミッキー・リー・ソウルのホンキートンク・ピアノプレイが特徴的です。

『If You Don’t Like Rock ‘n’ Roll』は、単純なロックン・ロールですがエルフ時代の音楽性を感じさせるアレンジが施されています。

この楽曲が「いい加減な扱い」を受ける一因としては、レインボーの他の楽曲と比較した場合の音楽的一貫性の欠如が挙げられると言われています。けど、それって『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』も一緒だよね?

この曲に関してはリッチー・ブラックモアが30分で作ったとか言ってましたが、図らずもピアニストであったミッキー・リー・ソウルが活躍する曲となりました。

ROCK ‘N’ ROLL‼️

Still I’m Sad

アルバムのラストを飾るのはジェフ・ベック在籍時のヤードバーズ、『Still I’m Sad』をインストロメンタルでカバーしたバージョンとなります。

この『Still I’m Sad』なんですが、ヤードバーズ版とは偉い違いです。

ヤードバーズ版は思いっきりグレゴリオ聖歌風のコーラスから曲が始まり、興味のない人からすれば歌い出しの「あーああーあーあ あーああーあーああー」で一曲が終わってしまいます(リードボーカルであるキース・レルフの歌も当然入っているのだが…)

それがレインボー版ですとヤードバーズ版のコーラス部分はリッチー・ブラックモアのギターに取って代わり、ゆったりした曲調もカウベル鳴らしながらのハードな曲調に変わっております。

ま、このアレンジってディープ・パープル時代の『You Fool No One』と同じなんですよね。

そんな『Still I’m Sad』ですが、ギターとボーカル以外のメンバーが一新されたライブでは、締めの曲として披露されていました。

ライブ版では長いキーボードの前振りからロニー・ジェイムス・ディオの歌が入り、ギターソロが入り、キーボードソロが入り、コージー・パウエルのドラムソロが入り、ブルースが入り、とベースソロは入りませんが、20分以上の長い曲となっていました。

で、このライブ版もディープパープル時代の『You Fool No One』と殆ど同じ構成だと言うね…

まとめ?

このデビューアルバムは、レインボーが音楽史に刻んだ重要な一歩であり、ハードロック及びヘビーメタルジャンルにおける多くの発展に寄与しました。

そして超意外な話なのですが、実はレイボーの全作品の中でアメリカでのヒットチャート最高位が、この『銀色の覇者』だったりします(もう一作はジョー・リン・ターナー期の『闇からの一撃』)

実はレインボーってアメリカ進出をかけて後年にポップ化していくんですけど、実はロニー・ジェイムス・ディオ時代のデビューアルバムが皮肉にもアメリカではチャート最高位を取っていたんですね。

もっともチャートで最高位と言っても30位ですが…

そして首切り伝説が始まる

このファーストアルバムである『銀色の覇者』の発売後、リッチー・ブラックモアはボーカル以外のメンバーを一新します。そして今だに“レインボーと言えば”と評される三頭政治時代へ突入して行くのです。

つづく

声掛けられなかったらレースに出てたんだぜ?
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