皆さん、ご機嫌よう! タカミックスです。今回は第二期ディープ・パープル最後のスタジオアルバムとなってしまった1973年1月に発売の『紫の肖像』についてです。
それでは行ってみまShow!
目次
原題は?
この『紫の肖像』ですが、原題は『Who do We think We are』です。
直訳は「私達は何だと思いますか?」なのですが、実際のニュアンスとしては「俺達って何様なんだろうな?」みたいな感じらしいです。
まるで第二期ディープ・パープル最後のアルバムであることを示唆したみたいなタイトルです。
恐怖の発売スケジュール
さて、しつこい様ですがディープ・パープルはワーナー・ブラザース・レコードと1年に2枚のアルバム発売との契約を結んでおりました(この契約は当然第3期以降のディープ・パープルも同じ)。ハードスケジュールのライブ活動をこなしながら1年に2枚のアルバムを作れって無理な相談だと思います。
そんな理不尽な契約を結んでいた第二期ディープ・パープルですが、1972年3月発売の『マシン・ヘッド』の大ヒットに気を良くしたマネジメント側は、第二期ディープ・パープルのライブスケジュールを組みました。
しかし、このライブスケジュールが超過密でそれぞれのメンバーが体調を崩します。特にイアン・ギランとリッチー・ブラックモアの体調は他メンバーより酷かったらしく、ライブをキャンセルしたりしてました。
なお、紫の肖像はアルバムの発売順こそライブ・イン・ジャパンを挟んでいますが、実際はライブ・イン・ジャパンよりも1ヶ月早めにレコーディングが開始されています。
リッチー・ブラックモア VS イアン・ギラン(性格)
ハードロック路線へと方向転換したディープ・パープルですが、バンドの成功と比例する様にリッチー・ブラックモアの我が強くなって行きます。
元来仕切り屋気質であるリッチー・ブラックモアのバンドに対する意見(と度を越した悪戯)は日に日に大きくなって行きました。しかし、第二期ディープ・パープルには同じく仕切り屋気質であったイアン・ギランがいたのです。
この2人の対立は第二期ディープ・パープルのスタジオアルバム2作目であるファイアボールの時には既に起きており、この時リッチー・ブラックモアはバンド脱退を仄めかしたとまで言われています。
もっとも、ファイアボールの時はイアン・ギランよりもバンドのタイトなスケジュールの方が問題だったみたいですが…
イアン・ギランとの対立はファイアボールの時点で起きていたのですが、輪を掛けて酷くなったのがマシン・ヘッド発売後のツアーからと言われています。ファイアボール後でさえタイトなスケジュールだったのに、マシン・ヘッド後であれば更にスケジュールは過密を極めたのでしょう。
とにかく何に付けても意見を曲げないリッチー・ブラックモアとイアン・ギランの対立は凄かった様です。
最初はリッチー・ブラックモアが脱退する筈だった
紫の肖像が発売される前後にイアン・ギランとの不仲に耐えられなかったリッチー・ブラックモアは遂にバンドの脱退を決意します。そしてバンド脱退の意向をディープ・パープルの精神的なリーダー役であったジョン・ロードに告げたのでした。
しかし、ジョン・ロードとイアン・ペイスはリッチー・ブラックモアの脱退を聞き「そんなにイアン・ギランが嫌いなら、イアン・ギランの方に脱退して貰うからバンドを辞めないでくれ! ついでだからロジャー・グローヴァーにも辞めて貰おう!」とリッチー・ブラックモアのバンド脱退を食い止めたのです。
可哀想なロジャー・グローヴァー
この辞めて貰う宣言に驚いたのがベーシストであったロジャー・グローヴァーです。彼はイアン・ギランが脱退すると「次はお前だ!」と言わんばかりにバンドメンバーからことごとく無視されたそうです。
確かに彼はバンドのハードスケジュールに文句を言い、脱退を仄めかしたこともありました。それでも音楽性には何の問題を感じておりませんでした。それが自らの意思ではなく半ば強制的にバンド側から脱退を迫られたのです。
なので、ロジャー・グローヴァーの第二期ディープ・パープル脱退はプレスリリースされた日は同じでも、実際に脱退が決定したのはイアン・ギランより少し遅れた時期となっています。この脱退劇についてはリッチーブ・ラックモアも「ロジャー・グローヴァーには悪いことをした。彼は良い奴だ」と後年のインタビューで語っております。
まぁ、現在のリッチー・ブラックモアはロジャー・グローヴァーのことを蛇蝎の如く嫌っていますが…
もう一つの脱退説
イアン・ギランとロジャー・グローヴァーの第二期ディープ・パープル脱退については、もう一つの説があります。
イアン・ペイスも脱退?
イアン・ギランとリッチー・ブラックモアの対立は同じで、1973年に入るとイアン・ギランの第二期ディープ・パープル脱退は決定事項になっていました。しかし、時を同じにしてリッチー・ブラックモアもイアン・ペイスと共に脱退する予定だったのです。
そして第二期ディープ・パープルを脱退した2人は、ザ・ボイスと呼ばれるポール・ロジャースと新バンド結成に動いていたのです!
これに困ったのがディープ・パープルのマネージャーであるトニー・エドワーズとジョン・コレッタの2人でした。せっかくヒットバンドとなったディープ・パープルからメンバーが3人も抜けてしまうのです。
パワーシャウターのイアン・ギラン、速弾きギタリスト(当時は)リッチー・ブラックモア、そして然りげ無くバンドを支えているイアン・ペイス、この3人が抜けてしまっては残ったジョン・ロードとロジャー・グローヴァーでディープ・パープルを支えていくのは不可能に近いからです。そこでマネージャーの2人とジョン・ロード、ロジャー・グローヴァーの4人でリッチー・ブラックモアとイアン・ペイスに脱退を思い留まる様に説得します。
イアン・ペイスはジョン・ロードとロジャー・グローヴァーの説得に応じバンド残留を決意します。
そしてリッチー・ブラックモアはバンド全体の変化を条件に脱退を思い留まることにしました。
バンド全体の変化?
リッチー・ブラックモアの「バンド全体の変化」とは具体的にどの様な内容だったのでしょうか?
果たしてボーカルが変わることだったのでしょうか? 実際にイアン・ギラン後のディープ・パープルの新ボーカルはポール・ロジャースで進められていたのは事実です。
しかし、「バンド全体の変化」で犠牲になったのがベーシストであったロジャー・グローヴァーも一緒であったのです。
まさかの仲間はずれ
リッチー・ブラックモアとイアン・ペイスの脱退をマネージャーも含めた4人で説得し、脱退を思い留まらせたロジャー・グローヴァーでした。
しかし、リッチー・ブラックモアとイアン・ペイスの残留が決まると、今度は仲間だった筈のジョン・ロードを含めたバンドメンバーとマネージャーの2人がロジャー・グローヴァー脱退へ舵を切ったと言うのです。
真意は分かりませんが、この時期のリッチー・ブラックモアはロジャー・グローヴァーのベースプレイが好きじゃなかった説があるんですね。もっともリッチー・ブラックモアはベーシストは拘らない人とも言われているのですが…
後年ロジャー・グローヴァーがリッチー・ブラックモアが結成したレインボーに加入した際、リッチー・ブラックモアはあくまでプロデューサーとしてロジャー・グローヴァーを呼んだだけであって、ベーシストとして活動させる気はサラサラなかったと言います。
なので当時のリッチー・ブラックモアがロジャー・グローヴァーにも辞めて欲しいとジョン・ロードに進言したのは十二分にあり得る話なのです。
タカミックス的はこの脱退話が一番納得が行くんですよね。ロジャー・グローヴァーってディープ・パープル脱退について余り語っているのを聞いたことがないんですよ。もしジョン・ロードとマネージャーも含めたバンド側が裏切ったと言うなら、現在もディープ・パープルで活動しているロジャー・グローヴァーが話したがらない理由が分かる気がするんですよね。
結果脱退
ジョン・ロードとマネージャー2人の裏切りにより、突然バンド内での居場所を失ったロジャー・グローヴァー。
彼の場合は自分の意思とは関係なく、半ば強制的にバンド脱退を強いられたのでした。
紫の肖像について
そんな悪化したイアン・ギランとリッチー・ブラックモア及びメンバーの体調と人間関係、更にアルバムに対する基本的な打ち合わせもないまま制作されたアルバム、紫の肖像です。
その前に…
その前に、紫の肖像はライブ・イン・ジャパンとほぼ同時に発売されています。なのでライブ・イン・ジャパンと併せて紫の肖像の売上は良かったんです。相乗効果って奴ですね。
録音場所
今回もローリング・ストーンズ所有のモービル・ユニットを借り、録音場所は城(スタジオではない!)であったそうです。しかし城門をモービル・ユニットが通れなかったらしく、リッチー・ブラックモアのギターは全てモービル・ユニット内で録音したそうです。
精細のないギター
面白いのはリッチー・ブラックモアの演奏に全く精彩がないことです。まぁ、タカミックスもレコーディング時に(1回しかないけど…)バンドメンバーと録音した方がノリが出るんですよね。なので1人で演奏したから精彩がなかったのか、はたまた最初からやる気がなかったのか、紫の肖像ではリッチー・ブラックモアのギタープレイに目を見張る演奏がないのです。
もっともアルバム制作背景にあれだけの脱退劇があれば、やる気がないのも当たり前の気がしますが…
楽曲紹介
では紫の肖像でタカミックスが好きな曲の紹介をしたいと思います。
ウーマン・フロム・トーキョー
この曲でリッチー・ブラックモアはイアン・ギランの歌メロがリフと同じメロディーなのが非常に嫌だったそうです。と言うかリッチー・ブラックモアのボーカルに対する悪口ってイアン・ギラン以外に言った事があるのだろうか?
曲のラストではジョン・ロードのピアノソロが聴けます。
本来はリッチー・ブラックモアのギターソロだったらしいのですが、満足なギターソロができずにジョン・ロードにソロをお願いしたそうです。
ジョン・ロードって言うとハモンドオルガンのイメージしかないので、タカミックスはエンディングのピアノソロ好きなんですけどね。ジョン・ロードはこの曲に限らす、紫の肖像ではシンセサイザー等を積極的に使っております。
スムース・ダンサー
ノリが良くて好きなんですよね、この曲。特筆すべきことって余りないんですけどタカミックスは好きな曲です。
ラット・バット・ブルー
この溜めてるんだか、やる気がないんだか分からない、ヤケに引っかかってから弾き(はじき)出す感じのリフ、大好きです! 個人的にはイアン・ギランがノリノリで歌ってる様に聴こえるのはタカミックスだけでしょうか?
この曲でもジョン・ロードがシンセサイザー系のソロを弾いて頑張ってます。
アワ・レディ
図らずも第二期ディープ・パープル最後の曲になった『アワ・レディ』。
何処となくアート・ロック時代のディープ・パープルを連想する曲です。それぞれのメンバーの演奏の中、矢張りリッチー・ブラックモアは心ここにあらずでピリッとしない演奏です。
第3期へ…
実は紫の肖像がレコーディングされていた時、ロジャー・グローヴァーが在籍していたにも拘らず、ジョン・ロードとイアン・ペイス、更にはリッチー・ブラックモアもディープ・パープルの次期ベーシストを探していたそうです。
そんな話が出るほどバンド内がギスギスしていた状態で作られたアルバム、紫の肖像です。
まとめ
リッチー・ブラックモアのギタープレイを抜かせば、紫の肖像は結構良いアルバムだと思います。それにリッチー・ブラックモアの不出来を補うかの如くジョン・ロードのキーボードが活躍しています。
またイアン・ギランも思いの外、良い感じで歌っており、然りげ無く傑作アルバムでは? と思ってしまう紫の肖像です。
そんな第二期ディープ・パープル最後のアルバムとなった紫の肖像、是非御一聴を!
おしまい