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コロナ禍で辛いこと

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 2019年12月初旬に中国の武漢市でコロナウイルスの感染者が確認され、そのウイルスは全世界へ広まっていきました。日本でも2020年の2月頃から外出自粛が叫ばれる様になり、三密が訴えかけられ、2020年4月には最初の緊急事態宣言が発令されました。

 私の住まいは神奈川県ですが勤務する会社は東京都新宿駅の南口から徒歩数分の所にあります。否応無しに日本でもトップクラスのコロナ感染の危険がある人口密集地域で仕事をしています。

 会社への通勤に私は京王線を使っていますが、京王線も他の電車と同じく2020年の3月から電車の窓は開放され、併せて送風も行われる様になりました。

 それから私は朝に自宅の玄関を出て夜の家に戻るまで、一日中寒さに耐える日々を過ごすことになりました。何故寒さに耐える、と記したかと言うと私は体温調節ができないからです。

 体温調節ができない理由は私が過去に大きな事故を起こし、脳挫傷を含め左半身のほぼ全てがダメになり約1年間ほど入院をしていた後遺症が理由です。

 事故に関しては不幸中の幸い、と言って良いのかは分かりませんが、私が単独でバイク事故を起こしたので第三者への被害はありませんでした。

 私の事故と入院中の話をするのは気が引けるのですが、担当医から直接「本当に助かると思わなかった」と言われたほどの事故でした。

 これも担当医から直接聞いたのですが、担当医は事故後の私の姿を見て助からないと思い手術をしない方向を考えていたそうです。しかし集中治療室の先生が担当医に対し「先程まで怒鳴り散らしてましたよ」と進言してくれました。なので担当医は「これだけ出血してるのに気を失わない所か叫ぶ体力があったのか?」と驚き、駄目元で手術をしてくれたのです。

 この手術で私は助かりました。ただし正確に言えば手術はこの1回だけではなく、その後も手術は10日〜14日毎に行われていたので、手術の回数が10回を越えた時点で私は数えるのを止ました。

 手術後、自我が戻ってから母親が見舞い来ている最中に回診に来た担当医は「今後10日間内が山場です。下手すると助からない可能性もありますし、無事だったとしても算数もできない可能性があります」と母親に説明しました。

 これだけ聞くと患者である私がいる場所で担当医の発言が無神経だと感じるかも知れません。しかし担当医は悪気があった訳ではなく、私が会話を理解する能力を持ち合わせているとは思っていなかったのです。

 実際に事故後の手術が終了し、面会ができる様になってから見舞いに来てくれた人は、私が起きているのに焦点の合ってない目を見て「助からない方が幸せだったのではないか?」と思ったそうです。手術後の私は意識があったのに自我がなかったのです。なので私も見舞いに来てくれたことを知りませんでした。

 入院生活の最初は24時間寝たきりで寝る時はベッドに身体を固定して寝ていました。入院患者でもベッドに身体を固定するのは拘束にあたり違反なんですが、私の場合は痙攣でベッドから落ちる可能性も考えられたので身体をベッドに固定するのが認められていました。

 また意識が戻り最初に字を書いた時は鑑文字しかかけませんでした。鏡文字とは文字通り鏡に写した様に字が反対になっていることです。私も鏡文字に気づいて直そうとしますが何度書いても鏡文字のままでした。

 喉にも気道を確保するためのチューブが入っており、チューブを抜いた後でもガサガサの声は治りませんでした。

 最初の食事は点滴のみでした。それからミキサー食、ムース食、ソフト食、軟菜食、刻み食と徐々に普通の食事形態に戻って行きました。

 最初は車椅子に移動するのにも人の手を借りねば移ることができませんでした。身体に力を入れることができなかったからです。

 ただ元来の性格なのか、これだけ大変な境遇にありながら不思議と絶望はしていませんでした。自我が戻ってから考えたのが音楽生活を今後どの様にしようかと言うことでした。

 この様な入院生活を約1年間過ごし退院することができました。

 話は戻り、初回手術後に担当医は算数もできないと言ってましたが、私は退院後に介護福祉士を始めとする資格を幾つか取得しています。どの資格も初回で合格しており、資格取得の合格率が高い免許ばかりとは言え不合格になる人もいるので、流石に算数くらいはできると思っています。なお、この話を資格取得後に担当医に報告したら非常に驚いていました。

 現在は後遺症もなく健康体です。ガサガサだった声も元に戻りました。唯一の後遺症は体温調節ができなくなっていたことです。退院直後には夏でもマフラーを巻いていたくらいに体温調節ができなかったのです。

 それでも月日が経つと体温調整も普通にできる様になり、冬でもバイクに乗ったりと人並みな生活を送れるようになりました。

 そう、コロナ禍になるまでは。

 2020年の3月から京王線は窓を開けて運行し、併せて常時送風が行われていました。これが非常に寒かった。3月でまだ肌寒い季節に電車内の方が温度が低く、朝から寒風に晒されていたのです。

 次に会社です。コロナ禍になる前は冷暖房が効き快適な事務所でした。しかしコロナ禍となり換気のため窓が常時開けられる様になりました。私が勤務する課は窓際で私の席の正面と右側に窓があり、寒風と合わせて送風機の風にも晒されていました。会社では足元ヒーターなどの持ち込みも禁止されております。我が社は厳しい会社なので四角四面な考え方に基づいています。なので一人では例外は作らない様にされ、私の足元ヒーターも認められませんでした。

 会社で私の席を移動する話もあったのですが、残念ながら課内で移動できる席があっても寒さに大して変わりはなく見送りました。

 寒いのは我々の課のみと言うのも皮肉な話です。事務所はそこそこに広く、窓際の我々以外はワイシャツ一枚と薄着で働く人もいました。

 また会社で昼休みなどを取る休憩室も窓の開放と送風がされていて、下手すると事務所より気温が低く寒かったです。休めるはずの休憩なのに事務所より寒い環境で寒さに震えなければならなかったのです。

 我が社はビルぶち抜き大所帯で廊下の窓も全開放です。だから社内の廊下も風が吹いています。よするに会社で暖かい場所が一つもないと言うことなのです。

 そして仕事が終わり下手すると朝より寒い京王線で帰路に着く日々でした。

 コロナ禍になる前なら寒いと感じれば場所を移動すれば良かったので、体温調節ができないと感じることはありませんでした。

 しかしコロナ禍となり私は朝家を出た時から家に戻るまでの約12時間、電車内も含めて延々と寒風に晒され続けていました。おかげで元に戻って健康体になっていたと思っていた身体は一気に悲鳴を上げました。

 コロナ禍になってから私は会社内にも拘らず帽子、ネックウォーマー、カーディガン、アンダーパンツ、コートと、まるで雪山に登山にでも行くのか? と言う姿で働いていました。あまりの寒さに一時期は本気でスキーウェアでも着ながら働こうか? と思った程です。

 とにかく全身が寒いのでネックウォーマーだけだと頭のてっぺんが冷えて頭痛に近い感覚に襲われるのです。一時期は寒さに耐えきれず、会社内で「寒いんだよ、ふざけんな馬鹿野郎!」と気が狂って叫び出そうかと思った程です。

 誤解があると困るのですが、動いていると言うか、普通に歩いているだけで体温調整はできているのです。なので朝に会社に着いた時は新宿駅から徒歩5分程度しか歩いてないのに汗をかいて「暑い、暑い」と言っております。しかし私は事務職なので席に座り1時間もしない内に体温調節ができなくなって行くのです。

 我が社は所帯が大きいこともあり、私が知っているだけで社員でコロナに感染した人は5名います。これは『私が知っている』だけの人数です。おそらく社員でのコロナ感染者やコロナ感染者の濃厚接触者は倍以上いると思われます。なのでコロナ対策の徹底具合で行けば、かなり気を使って対策している会社に属すると思われます。

 会社の女性上司に「前から寒がりだったの? 以前は寒がりじゃなかったよね?」と聞かれました。この場合の自分の症状は純粋な寒がりとは少し意味が違うのです。こればかりは健常者に「事故の後遺症で体温調整ができなくなったからです」と説明しても、普段は普通に汗をかいてる自分を見て体温調節ができない人だと分からないと思います。変な話ですが普通の室温であれば、この様な寒がり方はしないのですから。

 現在はコロナワクチンの接種率が70%を越え、コロナ感染者数も極端に下がりました。それでも残念ながら電車、そして会社では窓の開放と送風は続けられています。私もだいぶ寒さに慣れたとは言え、未だに寒い時には帽子まで被って仕事をしています。室内で帽子を被るのはマナー的に宜しくないのですが、かと言って寒さで手が止まってしまっては元も子もありません。

 そんなコロナ感染者数が一気に減り、若干ですが国民の気の緩みが感じられます。以前の様に感染者数に輪をかけるGO TO トラベルも検討されています。

 私はコロナの感染者数がゼロになる日が来るまでイベント関係の解禁は早い気はします。

 事実私は2020年4月緊急事態宣言が出ましたが、2021年の6月に新型iMacをApple Storeに見に行った以外に一切プライベートな外出はしていませんでした。

 しかし実際にサービス業に関わっている人達には明日を生きる糧が激減しているので、人の移動が緩和される政策は何より嬉しいことでしょう。

 この正解がないコロナ対策の解決策は時間が経つのを待つしかないのでしょうか。一国民としてできることが何もないのは歯痒く感じます。

 最後にコロナで亡くなられた方、理不尽に家族を奪われた方には私の寒さ問題などは比べるべくもない微々たる悩みだと思います。コロナによって身内に不幸があられた方々は私以上にコロナの終息を望んでいることと思われます。全ての国民、引いては世界の人々全てにコロナの対策が少しでも早く行われることを願い文を終わらせて頂きます。

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