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デイヴィット・カヴァデールには声以外の取り柄がなかった? 第三期ディープ・パープル加入への道程

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 皆さん、ご機嫌よう! タカミックスです。今回は華々しい復活をすることとなった第三期ディープ・パープルの新ボーカル&新ベーシスト決定までの紆余曲折についてです。

 それでは行ってみまShow!

まずはトラピーズ

 時は1972年冬、アメリカ合衆国はロサンゼルスにあるナイトクラブ、ウイスキー・ア・ゴーゴーにてライブを行なっていたトリオ編成バンド『トラピーズ』のメンバーに激震が走った!

ウイスキー・ア・ゴーゴー

 そこにはマシン・ヘッドにて大ヒットを飛ばしていた第二期ディープ・パープルのジョン・ロードが、客としてトラピーズのライブを見に来ていたからである。

ジョン・ロード

 これに驚いたのは他でもないトラピーズのメンバーであった。残念ながらトラピーズはレコード発売こそしていた物の、決して商業的成功を収めていたバンドではなかった(ただし本人達が言うにはアメリカ南部では第二期ディープ・パープルより有名だったとか)。なのでトラピーズ側としては、何で俺達みたいなフ○ッキン・タイニーバンドを天下のディープ・パープル様が見に来るんだ? と不思議だったと言う。

トラピーズ

 そして、その時の様子をトラピーズでボーカル&ベーシストとしてプレイしていたグレン・ヒューズは振り返る。

グレン・ヒューズ

 「ハッハー、俺もマシンヘッドは聞いたけど大したことないって思ったね! 曲がストレート過ぎるんだよ! あんなノッペリとしたノリじゃ俺のファンクなソウルはグルーブしないぜ! だから俺にとってディープ・パープルなんてフ○ッキン・マザー・○ァッカーって感じだったね。

 それがある日偶然ディープ・パープルのライブを見ることになっちまってな、そりゃビー・スタンドってくらい驚いちまったぜ! ギタリストのファ○キン・プレイにフ○ッキン・アクション! キーボーディストも箱が倒れちまうぞ? ってくらいオルガン揺さぶりまくってるし、ドラムもバカみたく叩きまくってる。まぁ、ベースは、アレだな… そしてボーカルの奴も名前はチットも知らないが、全く聞こえないコンガを叩きまくってたと思ったら耳をつん裂くシャウトを咬ましたり! こいつら俺達と同じくらいファ○キン・クレイジーだぜ!? ってスッカリとライブバンドのディープ・パープルの虜になっちまったんだよ、ベイビー!」

 …若干大袈裟に書いてますが、グレン・ヒューズがマシン・ヘッドを聴いてもピンと来なかった話は事実です。

 またグレン・ヒューズが第二期ディープ・パープルのライブを見てから興味を持ったのも事実です。

1972年の冬って…

 トラピーズのライブにジョン・ロードが見に来た1972年の冬、この時の第二期ディープ・パープルは丁度『ライブ・イン・ジャパン』が発売された時期となります。

 この頃の第二期ディープ・パープルはメンバー間の人間関係がグチャグチャであった時期でもあります。

 おそらく既にボーカリストであったイアン・ギランのバンド脱退は決定事項で、ベーシストのロジャー・グローバーもクビにする予定だったのでしょう

 なのでジョン・ロードは次のボーカリスト&ベーシストを探していたのです。

 とは言えイアン・ギランと共にクビにする予定であった第二期ディープ・パープルのベーシスト、ロジャー・グローバーはライブ・イン・ジャパンも含めたアルバムのミキシングも担当しており、バンドにはベーシストでありながらミックスダウンと言う重要な仕事も任されていたのです。

ミキシング

 ミキシングしたことある人なら分かるのですが、ミックスダウンってメチャクチャ難しいんですよ! ハッキリ言うと演奏と同じくらいミックスダウンがバンドイメージを左右するんですね。

 ミックスダウンがダメにした有名なアルバムだとイアン・ギランがボーカルを務めたブラック・サバスの… (以外削除)

意外と好きなんですけどね、このアルバム…

ポール・ロジャースが入るから…

 トラピーズのボーカル兼ベースのグレン・ヒューズは1972年の冬以降もライブを見に来るディープ・パープルのメンバー達を熱心なトラピーズファンだと勘違いしていたそうです。

 しかし遂に自分がディープ・パープルのベーシストとして考えられていることを知ります。しかしディープ・パープル側が求めていたのはベーシストとしてのグレン・ヒューズでした。トラピーズではリードボーカルを取っていたグレン・ヒューズですが、ディープ・パープルではボーカルを取っても精々サポートボーカリストの立場であったことに難色を示しました。

 グレン・ヒューズは自分のボーカルに絶大な自信を持っており、彼自身としては何で俺様が赤の他人にリードボーカルを譲ってやらにゃならんのだ! と怒り心頭だったのです。

 しかし愚図るグレン・ヒューズに対し、勧誘しに来たリッチー・ブラックモアがトドメの一言を放ちます。

 ボーカルはポール・ロジャースなんだよ!

ポール・ロジャース

 この一言がグレン・ヒューズにディープ・パープル入りを決断させたました。後にミュージシャンズ・ミュージシャンと呼ばれるポール・ロジャースですが、1969年のデビューなので1972年にグレン・ヒューズがポール・ロジャースの話を聞かされたとしても、都合3年程の活動期間です。それでも既にボーカリストとしてポール・ロジャースは超一流であったのです。

 なのでグレン・ヒューズも同じボーカリストとしてポール・ロジャースの歌声に思うことがあったのでしょう。

 ポール・ロジャースとバンドメンバーになれるなら、例えベーシストであったとしてもグレン・ヒューズとっては名誉なことだと考えたのです。

 そしてグレン・ヒューズは正式にディープ・パープルのベース兼ボーカルとして加入が決定します。

その時のポール・ロジャース

 では実際にディープ・パープルの有力な新ボーカル候補であったポール・ロジャースはどの様な活動状況だったのでしょうか?

 ポール・ロジャースが所属していたバンド『フリー』は、余りにも渋いブルース&ソウルを演奏していながらメンバーの平均年齢が二十歳! と言うバンドでした。

 そんなフリーはバンド解散、再結成、メンバー脱退、再加入etc.と非常に活動状態が不安定なバンドでした。

 一度の解散を挟みつつ、1968年から1973年と言う短い活動期間でドタバタしまくっていたバンドだったのです。そして1972年の冬は正にフリーが解散を直前としており、ポール・ロジャースのメンタル的な疲弊も相当であったと推察されます。

ポール・ロジャース、ディープ・パープルの新ボーカリストに?

 ベーシストにグレン・ヒューズが決定したディープ・パープルは次にイアン・ギラン後の新ボーカリストとしてポール・ロジャースにバンド加入を要請します。しかしポール・ロジャースはディープ・パープル加入を断ります。

 ポール・ロジャースはボーカルってグレン・ヒューズに決まったんでしょ? と、てっきりグレン・ヒューズがディープ・パープルの新ボーカリストに決定したと思っていたのです。

 なのでポール・ロジャースはフリー解散と同時進行していた新バンド『バット・カンパニー』の結成に動いたそうです。

 常々「理想のボーカリストはポール・ロジャース」と言っていたリッチー・ブラックモアの熱心な誘いも虚しく、ポール・ロジャースのディープ・パープル加入は実現しなかったのです。

ボーカル、やる気満々のグレン・ヒューズ

 このポール・ロジャースがディープ・パープルに加入しないことを知ったグレン・ヒューズは愕然としました。

 しかしグレン・ヒューズは、なら俺が歌う! と完全にリードボーカルになった心算でいました。

俺様が歌う!

 確かにポール・ロジャースに断られたリードボーカル探しは難航を極めました。事実、何時迄たっても見つからないボーカルに対しジョン・ロードとイアン・ペイスはグレン・ヒューズのリードボーカルでバンドを進めようとしました。

 そこに待ったを掛けたのがリッチー・ブラックモアでした。グレン・ヒューズにリードボーカルを任せるのではなく、ポール・ロジャース的なブルージーなボーカルスタイルの人間に歌わせたかったのです。

リードボーカルだけは止めてくれ!

 若干誤解があるかも知れませんが、リッチー・ブラックモアはグレン・ヒューズのディープ・パープル加入に関しては喜んでいた方なのです。

 リッチー・ブラックモアは第三期ディープ・パープル脱退時にファンク&ソウルに傾いたから脱退したとありますが、別にグレン・ヒューズのベースプレイに関してはファンキーでリズミックだ、と評価しています。ただ個人のプレイスタイルとバンドの音楽性思考は別だろ? との考え方でリッチー・ブラックモアは脱退したんですね。

 またグレン・ヒューズのリードボーカルに反対したのは、ボーカリストとしての技量の問題ではなく、前任者のイアン・ギランとボーカリストとしてのタイプが似ていたので反対したのです。

イアン・ギランとグレン・ヒューズのボーカルは似ているのか?

 イアン・ギランとグレン・ヒューズのボーカルスタイルが似ている? いや、どう考えてもグレン・ヒューズの方がハイトーンが出るし、オルディーズ系の歌はイアン・ギランの方が気楽に聴ける。だからボーカルタイプは全然違うだろ? 冗談はよし高寧々! となりそうですが、それは音楽に興味のある人が聴いたらの話です。

 一般人から見れば(聴けば、か…)イアン・ギランもグレン・ヒューズも金切り声でシャウトするボーカルスタイルになってしまうのです。

シャウト
シャウト!

一般ボーカルオーディション敢行!

 ディープ・パープル側は目ぼしいボーカリストに片っ端から声を掛けていた様なのですが、いかんせん肝心のリッチー・ブラックモアの中にはポール・ロジャーズの声が残ってしまっていたので、新ボーカル探しは難航しました。

 そして二進も三進も行かなくなったディープ・パープルは何と一般人を含めたボーカル・オーディションを敢行したのです。

 そのボーカルオーディションには約4,000人程の募集があったそうです。

ボーカルオーディション

 ですが4,000人近い募集者がありながら中々ソウルフルでブルージーなボーカルは見つかりませんでした。まぁ、想像でしかないのですが、前任者のイアン・ギランみたいなパワーシャウター的な歌い方をするボーカルばかり集まったのかな… とは思うんですけどね。

 そんな中々見つからない新ボーカルに、いい加減リードボーカル適任者を諦めかけたディープ・パープルです。そしてディープ・パープルは本当に最終案であったグレン・ヒューズのリードボーカル兼任に話が流れました。

 しかしある意味メンバー選考の最終決定権があるリッチー・ブラックモアはボーカル選考終盤、一本のテープに心奪われます。

 それがデイヴィット・カヴァデールが歌うビートルズのイエスタディのテープでした。

蛇足 〜 イエスタデイ?

 話が逸れますが、良くデイヴィット・カヴァデールはビートルズのイエスタデイをオーディション用の曲に選んだな、と思うのです。

 だって第二期ディープ・パープルの音楽性とイエスタデイって曲のジャンルが違い過ぎません? それともデイヴィット・カヴァデールは俺のソウルフル溢れる歌い方のイエスタデイを聴いてくれ! とか思ったんですかね?

実際に関わっているのはポール・マッカトニーのみ!

ダ… ダサい!

 デイヴィッド・カヴァデールが歌うイエスタデイを聴いたディープ・パープルはスタジオで音合わせをするべくデイヴィッド・カヴァデールと顔を合わせます。

 しかしディープ・パープルのメンバー、特にリッチー・ブラックモアはデイヴィット・カヴァデールを見て愕然としました。

 ダ… ダサい!

 とても信じられない話ですが、全盛期にはセックス・シンボルとまで呼ばれ、ブロンドへアーで男の色気を漂わせていたデイヴィッド・カヴァデールですが、ディープ・パープル加入前のデイヴィッド・カヴァデールはベタッとした黒髪、デブでニキビ顔、ずんぐりとした鼻、斜視、服のセンスも悪いと、声以外は完璧にダサい人だったのです。

セックス・シンボル時代

やっぱり止めない…?

 歌はソウルフルでブルージーなデイヴィッド・カヴァデールですが、声と見た目の違いにリッチー・ブラックモアはディープ・パープルのボーカルは諦めて貰おうと思いました。

 しかし、です。

 約4,000人近いボーカルオーディションをしてもデイヴィッド・カヴァデール以上のボーカルは見つからなかったのです。

 流石のリッチー・ブラックモアも仕方なくデイヴィッド・カヴァデールの整形手術とダイエットを条件にディープ・パープル入りを認めることにしました。

ただし大きな賭けではあった

 これにて脱退メンバーに変わる新加入メンバーは決まりました。ただ、これは大きな賭けであったのです。

 脱退するボーカルのイアン・ギランは、紛れもなく超一流のボーカルであり、パワーシャウターでもありました。

 その後任が多少の活動歴があったとは言え、無名の新人ボーカリスト、言わばバンドの顔役が全く知られていない人間が勤めることとなるのです。

 第二期ディープ・パープルのファンであったスティーヴ・ヴァイなどは、イアン・ギラン後のボーカルがデイヴィット・カヴァデールと聞き「誰だ、それ?」と、耳に掠ったこともない名前に全く期待が持てなかったそうです。

 タカミックスもデイヴィッド・カヴァデールとグレン・ヒューズ両名の加入後のグループショットを見た事があるのですが、正直デイヴィッド・カヴァデールの芋っぼさと言ったら…

写真右端がデイヴィッド・カヴァデールこう言うオバちゃん居るよね…?

第三期ディープ・パープル

 実際には1972年冬にバンド内では決定事項だったイアン・ギランとロジャー・グローヴァーの脱退です。ベースは諸事情があったにせよ、アッサリ決まったグレン・ヒューズでした。

 しかしボーカルに関してはリッチー・ブラックモアの中では決まっていたポール・ロジャースに断られ、難産の末に整形手術とダイエットを条件にデイヴィッド・カヴァデールの加入が決まります。

 この時のデイヴィッド・カヴァデールのダイエット話も結構危ない噂もあるんですが(ド○ッグ使って無理矢理痩せたとか…)、不確定要素過ぎますね。あくまで噂話程度なので…

その後、彼は猛烈なハードドラ○グに溺れてしまう…

 こうして難産であった第三期ディープ・パープルのメンバーが決定したのでした。

『紫の炎』制作へ…

 そして珍しくリッチー・ブラックモアも納得がいった、と言うスタジオアルバム『紫の炎』が制作されるのです。

 聴けば聴くほど、「あれ… このアルバムの純粋なハードロックナンバーってタイトルチューンの『紫の炎』だけじゃね?」と思ってしまうことがなきにしもあらずな第三期ディープ・パープルのスタジオアルバム『紫の炎』の紹介は次回としますかね…

一旦はおしまい。

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