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倉木麻衣と宇多田ヒカル

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皆さん、ご機嫌よう! タカミックスです。今回はタカミックスが某動画サイトで『新堂○兄弟』を、縦巻きロールの声の高いギタリスト目当てで見ていた時の話です。

その回のゲストは『倉木麻衣』でしたが、タカミックスは「おぉ〜、倉木麻衣か!」と思いました。何故ならタカミックス、倉木麻衣の『Love, Day After Tomorrow』が大好きだからです。

そんな倉木麻衣、そして『宇多田ヒカル』について、それでは行ってみまShow!

倉木麻衣

さて、新堂○兄弟のゲストに倉木麻衣が登場した時の話ですが、タカミックスは倉木麻衣の国内デビューシングル『Love, Day After Tomorrow』を持っています。

それもレンタルとかサブスクリプション(以下サブスク)ではなく、購入したシングル版を所有しておりました。まぁ、倉木麻衣って基本的にサブスクしてない人なんですけどね…

別に倉木麻衣のファンだったとかではなく、曲の最後に英語詩で歌う所が切なくて良い曲だなと思ったんですよ。

Love, Day After Tomorrow

今は言われないが…

現在は立派なアーティストとなっている倉木麻衣ですが、17歳のデビュー当時は一部で宇多田ヒカルのパクリだと言われていました。

これは宇多田ヒカル自身もダウンタウンの番組に出演した際、倉木麻衣を聴き「アレッあたし?」と思ったと言っていました。

宇多田ヒカル

MVも似てる?

この『Love, Day After Tomorrow』のミュージック・ビデオなんですが、コレまた“宇多田ヒカルとして”15歳時に発売した国内デビューシングル『Automatic』を連想させる作りだったんですよね。

Love, Day After Tomorrow
Automatic

倉木麻衣本人は純粋に歌が好きでプロミュージシャンになったのでしょうが、事務所なのか所属レコード会社であったビーイングの意向かは分かりませんが、 とにかく倉木麻衣を宇多田ヒカルのコピーとして売り出していました。

当時の宇多田ヒカルはテレビに出ないアーティストでしたが(これは宇多田ヒカルがまだ学生であったため)、同じ様に倉木麻衣もビーイング様のメディアコントロールによってテレビに出ないアーティストとなっていました。

また宇多田ヒカルはアメリカ生まれで、『Automatic』での日本デビューの前にインディーズとは言え(この時代のインディーズは現在の様に誰でも音楽を出せる環境ではなかった)アメリカでレコードデビューをしています。

それに倣ったかどうかは知りませんが、倉木麻衣も日本デビューとなる『Love, Day After Tomorrow』のリリース前にアメリカのインディーズレーベルBip! Recordより『Baby I Like』をシングルレコードとして発売しています。

芸能界最悪の父?

倉木麻衣の父親である山前五十洋(やまさきいそみ)についても今では知る人が少なくなっています。

山前五十洋は倉木麻衣が2000年にファーストアルバム『delicious way』を発売し、オリジナルアルバムの初動売上最高記録を樹立している中、突如父親として山前五十洋が名乗り出てきました。

突如と言うのは倉木麻衣がビーイング様のメディアコントロールでミステリアスな存在を保っていたからです。そして突如出てきたとは言え、山前五十洋は業界人でありました。

そんな山前五十洋は娘である倉木麻衣の幼少期のビデオを所属事務所に10億円で売りつけたり当然未遂とか(山本五十洋は自分が作ったCMに子供の頃の倉木麻衣が出てるよ、と伝えた話に尾鰭が付いたと言っている)、倉木麻衣の暴露本を出したりとか、挙げ句の果てに倉木麻衣のソックリさんで『歌姫伝説・倉本麻衣』と言うアダルトビデオをプロデュースしたりとか…(結局発売中止、山前五十洋は利用されただけと言っている)当時は芸能界最悪の父と言われていました。

倉“本”麻衣(この時点で倉本麻衣はバツイチで子持ち!)

因みに倉本麻衣は『くらもとまい』でウィキぺディアにも載っていますが、生年月日は3年サバを読んでいます(後年に倉本麻衣本人が発表している)。なので実年齢は倉木麻衣の6つ上となっております。

倉木麻衣の父

前述の通り山前五十洋も実は業界人であり、業界デビューは時代劇俳優の『富士八郎』の芸名で映画主演となります。山前五十洋のデビュー時にはそれなりの人気俳優であったそうです。

山前五十洋(富士八

しかし山前五十洋は早々に俳優業を断念し、その後芸能事務所を立ち上げたり映画監督をしたりしておりました。

そんな山前五十洋は倉木麻衣が17歳の時に離婚をしております。この時に倉木麻衣の親権は母親の方に渡りましたが、これは山前五十洋と母親の離婚が倉木麻衣17歳時に成立していただけ。倉木麻衣の小学校高学年時には父は家に戻らず、母親の女手で一つで倉木麻衣は育てられていた様です。

多くの情報では山前五十洋の離婚は倉木麻衣の幼少期と記されていますが、実際は“離婚をしていなかっただけ”が正解みたいです。

確かに倉木麻衣が大スターとなってから突然父親として名乗り出た山前五十洋ですが、倉木麻衣の幼少期にピアノや歌の手解きをしたのは山前五十洋と言われています。

なので倉木麻衣にとっては中学校に入る前には音沙汰のなかった父・山前五十洋でしたが、倉本麻衣AV事件を起こしたことで親子間は断絶してしまいます(一往他人行儀とは言え、親子関係は修復している)。それでも幼少期の倉木麻衣に音楽の手解きをした件に関しては父・山前五十洋に感謝せねばならないことでしょう。

蛇足:倉木パパ

因みに山前五十洋は騒動当時に“倉木パパ”と呼ばれるのは嫌だったそうです。本人曰く「倉木パパって、俺も倉木だろ! だから麻衣パパと呼んでくれ!」とのこと。

しかし倉木麻衣の“倉木”は芸名なので、別に倉木パパでも間違いではないんですよね。因みに倉木麻衣の本名は青野麻衣であり、青野は母方の姓ですね。

なので山前五十洋は芸名でも何でもなく本名です。しかも山前五十洋の父は詩人の山前實治(やまさきさねはる)で有名な詩人であったりします。

そう考えると倉木麻衣って芸能一家だったんですね。

宇多田ヒカル

次に音楽制作時はLogic Proを使っている宇多田ヒカルです。

宇多田ヒカル

宇多田ヒカルは音楽プロデューサーである宇多田照實と歌手の藤圭子の下、アメリカ合衆国ニューヨークにて生まれております。このアメリカ生まれでもニューヨークってところが重要なんですよね。ニューヨークはアメリカ最大の都市であり、政治&経済&エンターテイメントetc.と多くの分野において中心的な存在をなす都市であります。

そんなニューヨークで生まれ、両親の仕事上日本とニューヨークを行き来して音楽中心の世界で育った宇多田ヒカルなので、当然使用する言語も英語と日本語の両方を操ることができます。

なので宇多田ヒカルの『Automatic』がヒットしていた時点で”世界を目指す”アーティストであったのです。

『Automatic』に関してもR&Bをバックトラックにしながら、非常に細かい起伏を含めた歌唱方法でした。

そして歌の譜割りです。言語の中では発音が平坦な日本語でメロディを作ったのではなく、リズムに乗せた“発音の強弱が多彩な”英語的発音での日本語ともで言うのでしょうか?

この辺は日本語ネイティブの音楽製作者だと、感覚として落とし込めない話なんですよ。理屈は理解できるんですけどね。

生まれ持って英語を操れるのは音楽の世界においてワールドワイドに活躍するために必要不可欠なことです。使い古された例えなのですが、音楽に国境はなくとも言語に国境はあるからです。

その国境がある言語の中でもエンターテイメントの中心における国であるアメリカ、そしてイギリスでは英語が公用語です。その英語を操れる宇多田ヒカルの音楽生活におけるアドバンテージは、本人が意識していなくとも非常に高い物となっていたのです。

その宇多田ヒカルはアメリカで売れたのか?

では英語を操れる宇多田ヒカルが満を持して2004年に全米デビューアルバムとして発売した『エキソドス』が、アメリカでも売れていたのかと聞かれると、正直言って『?』が付いてしまいます。

これは決して宇多田ヒカルが悪いのではなく、プロモートする側の失敗だったと言われています。

この『エキソドス』は非常に前衛的な作品でジャンルに捉われないアルバムであります。これは我々日本人からすれば宇多田ヒカルの新たな魅力と捉えられるのですが、残念ながらアメリカではその様に捉えられませんでした。

ジャンルに捉われないとは良く言った物で、日本と違って宇多田ヒカルというパーソナリティーが通用しないアメリカでは個性がないアーティストとして扱われてしまったからです。

当時のアメリカの業界人がインタビューで『エキソドス』内の楽曲を紹介する時に「○○歌手の宇多田ヒカルが歌う」の○○部分、これはロック歌手とかポップ歌手とかが当て嵌まるのですが、敢えて宇多田ヒカルは何でも歌えることを売りにしてしまった為に○○歌手部分の定義ができなくなってしまった、と答えていました。

なのでラジオやテレビetc.で制作者側が“取り上げにくい歌手”となってしまったそうです。

エルビス・プレスリー

若干話が逸れる様に感じるかもしれませんが、音楽ジャンル設定に関して似た様な話を持つアーティストがいます。それが何を隠そうキング・オブ・ロックのエルビス・プレスリー(以下プレスリー)です。

エルビス・プレスリー

プレスリーはデビュー前のオーディション時に制作者側から何が歌えるのか? と聞かれたそうです。するとプレスリーは「何でも歌えるよ! ただし僕流にね!!」と答えたそうです。

まぁ、どこまでどこまでホントの話かは知りませんが、プレスリーはどんなジャンルの歌でも“僕流で”歌えると答えたんですね。言わばジャンルは「プレスリー」なんですよ。

もっとも当時アメリカでのロックン・ロールは、あくまで黒人が歌う音楽であったんです。なのでプロデューサー側としては白人のアーティストでありながら黒人の持つリズム&ブルース感を持っている人間を探していたのです。その時代の流れに颯爽と登場したのがプレスリーだったんですね。

まぁ、プレスリーの“ジャンル・プレスリー”は置いといてですね、果たして宇多田ヒカルが全米進出の際に自分のアーティストとしての立ち位置をどの様に据えていたのでしょうか? ただ前述のアメリカン業界人は宇多田ヒカルが何か一つのジャンルに絞って全米進出をしていれば話は違っていただろう、と答えていました。

もっともタカミックスは宇多田ヒカルウォッチャーではないので踏み込みんだ話までは分かりませんが、音楽業界で世界に打って出るなら万能型みたいなタイプは受け入れられ難いと言うことですかね?

まとめ?

デビュー時には宇多田ヒカルのパクリと言われていた倉木麻衣。そんな倉木麻衣ですが、タカミックスは今でも『Love, Day After Tomorrow』は結構聴きます。もっともタカミックスには倉木麻衣=Love, Day After Tomorrowなんですけどね。

倉木麻衣も早くコナン以外の曲をサブスク解禁してくれないかな…

おしまい

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