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ディープ・パープル 〜 ラウンドアバウト結成まで

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 皆さん、ご機嫌よう! タカミックスです。

 今回はディープ・パープルについてですが、まずはディープ・パープルの前身バンドである『ラウンドアバウト』結成の話をしたいと思います。

 ラウンドアバウトの初代ドラマーはボビー・クラークではなかったetc.と解説して行きます。

 それでは行ってみまShow!

ディープ・パープルの歴代バンドメンバー&ディスコグラフィ

 ディープ・パープルは1968年にイギリスで結成され、一度は解散しましたが何回かのメンバーチェンジを経て現在も活動している非常に息の長いグループです。

 ディープ・パープルはメンバーチェンジ毎に第〜期と分けられております。それでは歴代のバンドメンバーです。

歴代バンドメンバー

 次に発売されたアルバムです。しかしディープ・パープルは活動期間も長く、ライブ盤とベスト盤、発売された国も合わせると数限りなくアルバムが発売されています。なので第2期と第5期の活動年内に出たライブアルバムのみ表記しております。

ディスコグラフィー(濃い背景はライブアルバム)

アメリカデビューのブリティッシュ・ロックバンド

 今やブリティッシュ・ハードロックの代表的なバンドであるディープ・パープルですが(当時はレッド・ツェッペリン、ブラック・サバス、ユーライア・ヒープと合わせたハードロック御三家と呼ばれていた)、意外なことにディープ・パープルはイギリスで結成されたバンドにも拘らずレコードデビューはアメリカでした。

 このデビューアルバムからジョー・サウスのカバー曲である『ハッシュ』がシングルカットされ、新人バンドとしては異例の全米チャートで4位に入ると言う離れ業をやって退けます。

 それでもデビューアルバムはイギリスでは未発売と、レコード会社の契約も取れなかったのでした(セカンド・アルバムは発売から1年後にイギリスのレコード会社と契約できた)

ラウンドアバウト 〜 ディープ・パープルの結成まで

 そのディープ・パープルの前身となったバンドがラウンドアバウトです。

 ラウンドアバウトはサーチャーズを精神的疲労から脱退したクリス・カーティスが発起人となり結成されたバンドであります。

 クリス・カーティスは「音楽のラウンドアバウト=環状交差点のように、バンドメンバーが乗り降りするスーパーグループ」と言う意味で自身が結成するバンドに『ラウンドアバウト』と名付けました。

メンバーより先に決まったマネージャー

 まずラウンドアバウトはバンドメンバーが揃う前にトニー・エドワーズとジョン・コレッタと言う2人のマネージャーが決まっていました。

 しかもマネージャーの2人はバンド結成のため、現在の日本の通貨価値に換算すると約2,000万円以上の投資をしています。

 もっともクリス・カーティスがいたサーチャーズは非常に売れていたバンドであったので、そのクリス・カーティスが立ち上げようとしていたバンドにマネージャーが投資する理由も分かります。

クリス・カーティス

 クリス・カーティスはサーチャーズでドラム兼サイド・ボーカルを担当していました。サーチャーズはイギリスでビートルズやローリングストーンズと共にヒットしたバンドであります。

 サーチャーズの楽曲の多くはクリス・カーティスが作曲しています。またクリス・カーティスはバンドのリーダー的な役割も担っていました。

 クリス・カーティスが叩くドラムはテクニカルでなくとも非常に安定しており、ビートをキープするという意味では同時代の他バンドのドラマーより優れたプレーヤーでした。

 サーチャーズはメンバーそれぞれがリードボーカルも取れるグループで、甘い声色のクリス・カーティスは歌えるドラマーであったのです。

サーチャーズ / ピンと針

 そのクリス・カーティスはラウンドアバウト結成に関し、自分がフロントに立つためにドラマーではないリードボーカルを担当パートに選びました。

 なおクリス・カーティスがカバーしようとラウンドアバウトに持ちかけた曲がディープ・パープルのデビューシングルとなったハッシュとなります。

ジョン・ロード

 クリス・カーティスはバンド結成にあたり、当時同じアパートに住んでいたキーボーディストであるジョン・ロードを誘い、これを快諾されています。

 ジョン・ロードは少年期からピアノを習得し、10代半ばでジャズやブルースも演奏し出し、プロミュージシャンとしてサンタ・バーバラ・マシンヘッドというバンドでローリング・ストーンズのロン・ウッドと活動していたこともあります。

 またジョン・ロードはスタジオミュージシャンとして活動もしており、有名な所だとキンクスの『ユー・リアリー・ガット・ミー』のレコーディングにも参加していました。

ユー・リアリー・ガット・ミー(バックでピアノが鳴っています)

カルロ・リトル

 ラウンドアバウト最初期のドラマーはカルロ・リトルです。

 カルロ・リトルはロック・ドラマーの草分け的存在の人です。ローリング・ストーンズの最初期ドラマーだったりもします(実はトニーチャップマンじゃないんですよ)

 カルロ・リトルはロード・サッチ・アンド・ヒズ・サベージズの創設メンバーであります。

 しかしカルロ・リトルがラウンドアバウト初期のメンバーであった情報はまず見ません。この人はローリング・ストーンズと同じで偉大なバンドの設立メンバーだったことが隠される運命にでもあるのでしょうか?

カルロ・リトル

リッチー・ブラックモア

 次にギタリストはリッチー・ブラックモアに決定します。

 リッチー・ブラックモアもクラシックへの造詣が深く、ジョン・ロードと同じ様に様々なバンド以外にもスタジオミュージシャン兼セッションミュージシャンとして活動していました。

 ギタリストとして後進に大きな影響を与えたリッチー・ブラックモアですが、初期のスタジオミュージシャン時代は非常に大人しいギタリストでした。しかしスクリーミング・ロード・サッチと出会ったことで彼のプレイスタイルは一新します。

スクリーミング・ロード・サッチ

 リッチー・ブラックモアはロード・サッチのバンドであるロード・サッチ・アンド・ヒズ・サベージズに加入します。そこでロード・サッチは非常に地味だったリッチー・ブラックモアに対し、派手なアクションを要求し、同時に化粧もさせたと言います。ロード・サッチは音楽性と同時にステージ映えを意識しており徹底的にルックスに拘る人でもありました。

 このロード・サッチ・アンド・ヒズ・サベージズを一度は脱退したリッチー・ブラックモアでしたが後年再加入し、同じくロード・サッチ・アンド・ヒズ・サベージズに在籍していたジェフ・ベックやジミー・ペイジとの活動も行っております。

 この様にバンドやセッションミュージシャンとしても活動していたリッチー・ブラックモアは、同じくスタジオミュージシャンとして活動していたジョン・ロードと度々現場で顔を合わせていました。その縁もあってジョン・ロードがリッチー・ブラックモアにバンド結成の声を掛けた様です。

 ジョン・ロードにバンド結成の声を掛けられたリッチー・ブラックモアは契約中の仕事を終えてからラウンドアバウトへの参加することを約束します。

若き日のリッチー・ブラックモア(ギブソン ES-335使用)

クリス・カーティス、脱退? クビ?

 さて、契約中の仕事が終了したリッチー・ブラックモアがラウンドアバウトへの参加することになりましたが、今度はバンド結成を持ちかけたクリス・カーティスが脱退してしまいます。

 クリス・カーティスは何だかんだ言って難航したバンドメンバー選定に嫌気がさし、ラウンドアバウトに対してやる気を無くしてしまった… と、伝えられていますが事実は違います。

 当時クリス・カーティスはド○ッグにはまっており、情緒不安定になったクリス・カーティスを見たジョン・ロードは彼がリーダーを務めることになるであろうバンド運営に疑問を感じ、ド○ッグ問題をマネージャーに進言してラウンドアバウトからクリス・カーティスをクビにしたらしいのです。

 クリス・カーティスのサーチャーズ脱退の件も実はドラッグが関係していたのではないか、と言われています。

マネージャー主体? 消滅不可のラウンドアバウト

 こんな状態ではラウンドアバウトというバンド自体が自然消滅しそうなものなのですが、活動前に消滅して困るのは資金提供をしていたマネージャーです。

 なのでマネージャーであるトニー・エドワーズとジョン・コレッタはジョン・ロードとリッチー・ブラックモアに対しバンド継続を支持します。

 またクリス・カーティスの脱退によってバンド消滅の危機に陥ったラウンドアバウトからは、ドラマーであったカルロ・リトルもフェイドアウトして行きました。

ニック・シンパー

 ベーシストはフラワーポット・メンのツアーメンバーとして活動していたニック・シンパーに決定します。このフラワーポット・メンのツアーメンバーにはジョン・ロードも在籍していました。

 ニック・シンパーもセッションミュージシャンとして活動しており、非常にメロディアスなベーシストであります。

 耳に残るベースラインを奏でるニック・シンパーですが、何故か彼のベーススタイルが話題になることはないです。それだけディープ・パープルと言うバンドはメンバー其々の個性が強いのでしょうか…

ボビー・クラーク

 新たにボーカルとドラマーを探すことになったラウンドアバウトですが、ドラマーにはヴィンス・テイラー・アンド・ヒズ・プレイボーイズのボビー・クラークに決定します。

 ボビー・クラークもスタジオミュージシャンとして活動していた人物です。

ヴィンス・テイラー・アンド・ヒズ・プレイボーイズ(バックのドラマーがボビー・クラーク)

 ボビー・クラークにはリッチー・ブラックモアが声を掛けてラウンドアバウトへの参加が決まったと言われています。

デイブ・カーティス

 そしてボーカルにはデイブ・カーティスが選ばれます。

 もともとリッチー・ブラックモアと旧知の間柄だったとも言われるデイブ・カーティスは、ボビー・クラークのバントであったザ・ボビー・クラークスズ・ノイズに在籍していたこともあります。

デイブ・カーティス・アンド・ザ・トレマーズ

が、また脱退!

 難航したバンドメンバーも決まり、やっと出向したラウンドアバウトですが、1ヶ月もせずにデイブ・カーティスがバンドを脱退します。

 再びラウンドアバウトはボーカル募集のオーディションをする羽目になりました。

ロッド・エヴァンス

 ラウンドアバウトでのボーカル募集オーディションに現れたのは当時活動が停滞していたバンド、ザ・メイズのボーカリストであったロッド・エヴァンスでした。

 ロッド・エヴァンスはこのオーディションにザ・メイズのドラマーであったイアン・ペイスを同行させます。

 ロッド・エヴァンスはメロウな歌声を持っており、ロックボーカルというより野太い声と表現した方が良いかもしれません。ただこの人、非常に評価が分かれるボーカリストであります。落ち着いてシックな深みのある歌声であるという人もいれば、音域が狭く一本調子の歌声という人もいます。

 とは言えディープ・パープルの2代目ボーカリストである“パワーシャウター”イアン・ギランは一番好きなボーカリストにロッド・エヴァンスを挙げております。

 ロッド・エヴァンスはシャウトをしない人なので“ハードロック・バンド”になったディープ・パープルボーカル陣の中では過小評価されているのかも知れません。

ザ・メイズ

今度こそバンドメンバー決定?

 オーディションも終わり、ジョン・ロードは自分がイメージするバンドスタイルに合うボーカリストであったロッド・エヴァンスをバンドメンバーとして採用する方針を固めていました。

 ジョン・ロードは最後のワンピースであったボーカルが入り、ここに紆余曲折を経てラウンドアバウトのメンバー全員が揃うことになったと思いました。

メンバー決定…?

 が、そうは問屋が卸しませんでした。

別の意味で驚いたリッチー・ブラックモア

 ボーカルオーディション時にロッド・エヴァンスを見て驚いたのはリッチー・ブラックモアでした。

 決してロッド・エヴァンスに驚いた訳ではなく、彼に同行していたイアン・ペイスを見て驚いたのです。

イアン・ペイス

 イアン・ペイスは非常に珍しい左利きのドラマーです。彼のプレイスタイルの特徴は非常に速く正確なドラミングです。ストローク、フィル、タム回し、そして驚異的なスピードで叩くワンバスでのペダルワークと何もかも速いドラマーで有ります。

 同時代に活躍したレッド・ツェッペリンのドラマーであるジョン・ボーナムと比べられ、イアン・ペイスはジョン・ボーナムの様なパワーがない分スピードでカバーしていると評されていました。

 が、実際のイアン・ペイスのドラミングも爆音だったらしく、あくまでジョン・ボーナムに比べたら、との意味でパワーがないと言われていたのです。

スタジオミュージシャン時に見ていたリッチー・ブラックモア

 リッチー・ブラックモアはスタジオミュージシャン時代にイアン・ペイスのドラミングを見ていました。その時にリッチー・ブラックモアはイアン・ペイスのドラミングは自分のプレイスタイルにマッチすると感じたそうです。

 そのイアン・ペイスがロッド・エヴァンスの同行とは言え、リッチー・ブラックモアの目の前に現れたのです。

リッチー・ブラックモア、謀る

 さて、ボーカルオーディションに参加したロッド・エヴァンスとの演奏は滞りなく終わりました。

 ここでリッチー・ブラックモアはラウンドアバウトのドラマーであるボビー・クラークに「ちょっとタバコ買ってこいよ! けど別に急いでないから散歩も兼ねて、のんびり行ってきなよ」と買い物に行かせたのです。

 私見ですがラウンドアバウトの人間関係は上手くいっておらず、何気にロッド・エヴァンスがドラマー連れてきた時点で、ボビー・クラークは買い物行かされたことを自分で不自然に思わなかったんですかね…?

 何にせよボビー・クラークが買い物に出掛けている間にイアン・ペイスのオーディションも行われました。イアン・ペイスはオーディションで素晴らしいプレイをし、自らの個性と実力を存分に発揮します。

 このドラムのオーディション後にリッチー・ブラックモアがラウンドアバウトのドラムはイアン・ペイスじゃなきゃダメだ! と強く進言したこともあり、哀れボビー・クラークはバンドのドラマーを解雇されてしまいます。

 そして後任はイアン・ペイスとなり、今度こそ本当にランドアバウトの正式メンバーが決定するのです。

遂に正式決定!

 因みにイアン・ペイスは左利きのドラマーです。なのでボビー・クラークが買い物に行ってる間にドラムのセッティングを変えるのは大変だったのではないでしょうか?

バンド名をディープ・パープルに変更

 遂にフルメンバーが決定したラウンドアバウトは地方のギクを開始します。

 この頃ギタリストであるリッチー・ブラックモアからバンド名変更の提案がされました。そのバンド名が『ディープ・パープル』だったのです。

バンド名の由来はピーター・デローズの楽曲名から

 そのディープ・パープルの名前はリッチー・ブラックモアの祖母が好んで聴いていた、ピーター・デローズの楽曲『Deep Purple』から取られたと言われています。

 元はピーター・デローズの楽曲ですが、バンド名の由来は1963年版ニノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンスがカバーした方の『Deep Purple』から付けられたと言われています。

ニノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンス / Deep Purple 

 個人的にはお婆さんの年齢を考えるとビング・クロスビーがカバーした1936年版の『Deep Purple』の方がバンド名の由来ではないのかと思うのですが…

ング・クロスビー / Deep Purple

 少なくともビング・クロスビーの楽曲『Deep Purple』は非常に緩やかなテンポでビング・クロスビーがクルーナー・スタイルで甘く歌いあげる曲です。しかし一聴した限りではロックバンドの名前に付けられる様な曲ではないです。

 またニノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンスの『Deep Purple』も同じ曲ではありますが、ハーモニカも入りポップな仕上がりになっています。ただリッチーの祖母はラウンドアバウトでも演奏してくれと頼んだと言われるので、案外こっちのヴァージョンがバンド名の由来かも知れません。

 まぁ、1939年のラリー・クリントン版も有り得るんですがね…

ラリー・クリントン・アンド・ヒズ・オーケストラ・ウィズ・ビー・ウェイン / Deep Purple

第1期ディープ・パープル バンドメンバー

 こうしてラウンドアバウトからバンド名をディープ・パープルに変更し、レコードデビューへ歩み始めたのです。

 このジョン・ロードがバンドの主導権を握り、ロッド・エヴァンスがボーカルを取っていた時代が後に第1期ディープ・パープルと呼ばれます。

 次回は第1期ディープ・パープル編となります。

つづく

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