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リッチー・ブラックモアズ・レインボー&レインボー脱退後のエルフメンバーについて

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 皆さん、ご機嫌よう! タカミックスです。

 今回はディープ・パープルを脱退したリッチー・ブラックモアが『エルフ』を乗っ取って作ったバンド『リッチー・ブラックモアズ・レインボー』 …と言うか『エルフ』についてです。

 それでは行ってみまShow!

レインボーはブリティッシュ・ハードロックのバンド?

 ディープ・パープルを脱退したリッチー・ブラックモアが『エルフ』を乗っ取って作ったバンドが『リッチー・ブラックモアズ・レインボー』ですが、基本的に『レインボー』と呼称されます。

エルフ

 レインボーのバンド名は1975年時が『リッチー・ブラックモアズ・レインボー』1976年時が『ブラックモアズ・レインボー』1977年時『レインボー』、そして1995年の再結成後には再び『リッチー・ブラックモアズ・レインボー』となっています。

 この様に数度バンド名が変わっているレインボーですが、このバンド名に関しては商業上の理由が一番だったりします。矢張り音楽&商業的に成功していたリッチー・ブラックモアの名前をバンド名の前に冠さないと、一般人に対して中々レインボーと言うバンドを聴いて貰うことは難しかったからなんですね。

 これはラジオ番組やテレビ番組でも同じで、番組制作者側の目を惹き、番組で取り上げて貰い易くする意味も大きかったのです。

 今記事では特記しない限り『レインボー』のバンド名で表記します。

レインボーはどこの国のバンド?

 レインボーはリーダーである(本人はバンドの1/5だ! と言ってるが…)リッチー・ブラックモアが生粋のイギリス人です。なのでレインボーもブリティッシュハードロックのグループと思われがちです。

 しかしデビュー時のリッチー・ブラックモアズ・レインボー、ある意味リッチーブラックモアに乗っ取っられたエルフのメンバーは全員アメリカ人でした。

 当然レインボーの初代ボーカリストであったロニー・ジェイムス・ディオもアメリカ人であり、レインボーは初っ端からリッチー・ブラックモア以外は全員アメリカ人というバンドメンバー編成となっていました。

 ロニー・ジェイムス・ディオは、その声量と彼の持つ悪魔やドラゴンと言った世界観で個人的には完璧に様式美=イギリスみたいなイメージを持ってしまいした。

ロニー・ジェイムス・ディオ

 なおイギリスの正式名称はユナイテッド・キングダム・オブ・グレートブリテン・アンド・ノーザン・アイルランドでイングランド&ウェールズ&スコットランド&北アイルランドの4国から成り立っております。

メンバー構成(国籍)

 ここで結成から解散、再結成、解散、再々結成と続いた2019年までのレインボーメンバーの国籍を見てみましょう。レインボーもメンバーチェンジがハゲしいバンドなので、レコーディングのメンバーであった25人で調べてみます。

 すると25人中イングランド(イギリス)が9名、スコットランド(イギリス)2名、アメリカ(北アメリカ)11名、カナダ(北アメリカ)が1名、オーストラリア1名、チリ1名とイギリスと他の国ではほぼ同じくらいの比率のバンドとなっています。

 とは言え世間の人達が『レインボー』と聞いて連想するのは再結成前でしょう。なので再結成前である1975年から1983年までのレインボーになるとイングランド(イギリス)5名、スコットランド(イギリス)1名、アメリカ(北アメリカ)9人、カナダ(北アメリカ)が1名、オーストラリア1名と顕著にイギリス人以外の方が多いバンドであったのです。

 蛇足ですがレインボーでバンドメンバー全員がイギリス人であったのは、再結成前ですとアメリカ進出を掛けてボーカル、ベース、キーボードを入れ替えて編成されたグラハム・ボネット時代のみです。

実は3人でのレコーディング

 まだリッチー・ブラックモアがディープ・パープルを脱退する前の1974年、最初はソロ・シングル用として制作された『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』と『16世紀のグリーン・スリーブス』はリッチー・ブラックモアとロニー・ジェイムズ・ディオ、そしてドラムのゲイリー・ドリスコールの3人でレコーディングされました。

 アレ、ベースとキーボードは? となるのですが、ベースはリッチー・ブラックモアが弾いており、キーボードは入っておりません。

 なので『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』と『16世紀のグリーン・スリーブス』は3人でレコーディングされた曲となっているのです。

エルフのアルバムにリッチー・ブラックモアが参加?

 さて、同時期にロニー・ジェイムス・ディオとゲイリー・ドリスコールが所属していたバンド『エルフ』のサードアルバム『バーン・ザ・サン』にてリッチー・ブラックモアがシークレットでギターを弾いていると噂されていました。

 で、どうやらその噂は事実みたいです。

 ただ流し聞きする程度だと明確に違いがある訳ではないので、分からない可能性が高いと思います。

リッチー・ブラックモアが嫌いなロニー・ジェイムス・ディオ

 ロニー・ジェイムズ・ディオがレインボーを脱退(と言うより追い出されたに近い)した翌年、ブラック・サバスのボーカルとして来日します。その来日時にロニー・ジェイムズ・ディオはリッチー・ブラックモアは『バーン・ザ・サン』のレコーディングに参加してない! とハッキリと言い切っています。

 この時のロニー・ジェイムス・ディオはレインボー脱退後にブラック・サバスに加入して発売したアルバム『ヘブン・アンド・ヘル』が世界中で大ヒットしていました。

 ロニー・ジェイムス・ディオってレインボー脱退後でも、行く先々でリッチー・ブラックモアをリスペクトしていると答えています。

 しかし尊敬はしているけどリッチー・ブラックモアは嫌いだよ、と言うのが本音だった様です。

 しかもロニー・ジェイムス・ディオの嫁さんでありマネージャーでもあったウェンディ・ディオもリッチー・ブラックモアが相当嫌いだったんですね。

ウェンディ・ディオ

 リッチー・ブラックモアもロニー・ジェイムス・ディオが我儘になったのはウェンディ・ディオと付き合いだしてからだと言って嫌っています。

 ウェンディ・ディオもショービジネスの世界にいる人間ですが、これがオジー・オズボーンの嫁さんのシャロン・オズボーンに負けず劣らずの肝っ玉母ちゃんぶりなんです。

 ウェンディ・ディオはブラック・サバス脱退後に自分の旦那が立ち上げたバンド『ディオ』のギタリスであったヴィヴィアン・キャンベルをバンドから追い出したりとか、彼女も結構後先考えないで行動するタイプみたいです。

 なのでレインボーから音楽性の違いで追い出されて日も浅いロニー・ジェイムス・ディオと、夫を守るタメなら何でもするウェンディ・ディオは夫婦して大っ嫌いなリッチー・ブラックモアに敵意を剥き出しにしていた訳なんですよ。

 また『タカミックスの音楽情報局』でも何回か取り上げていますが、バンドのステイタスとして、ブラック・サバスはレインボーの遥か彼方上に存在しているバンドなんですね。日本の演歌歌手で例えるなら北島三郎と大江裕みたいな感じです。

 ロニー・ジェイムス・ディオからすればレインボーを踏み台にして、一気にトップステイタスに位置するバンドのボーカルになれた訳なんです。しかもロニー・ジェイムス・ディオって実はリッチー・ブラックモアより3つも歳上です。

 なのでロニー・ジェイムス・ディオが年齢やバンドステイタスも含め見下す意味があったのではないのでしょうが、リッチー・ブラックモアが『バーン・ザ・サン』のレコーディングに参加してない! と言っちゃう気持ちも分からなくはないんですよね。

では、どの曲でリッチー・ブラックモアがギターを弾いていたのか?

 エルフの『バーン・ザ・サン』をタカミックスが聴いた限りだと、おそらく『リバティー・ロード』『ショットガン・ブギ』『ストリート・ワーカー』の3曲がリッチー・ブラックモアのギターかな? と思います。

 リッチー・ブラックモアの弾き方って、表現し辛いんですけどディストーション系の音を出す前のタメって言うんですかね? 一瞬タメてから音を出すんですよ。なので『バーン・ザ・サン』を通して聴いた感じだと、特にこの3曲が音のタメがある気がするんですよね。

 あとギター・カッティングのタイミングと音使いもリッチー・ブラックモアって独特のタメ方するんですよね。なので『プレイテンス・ウッド』なんかはリッチー・ブラックモアのカッティングでないと思います。

 ま、あくまで想像でしかないのですが…

バーン・ザ・サン

リッチー・ブラックモアズ・レインボー結成

 さて、第3期ディープ・パープルにて自分の意見が全く採用されなかったリッチー・ブラックモア。

 そんなリッチー・ブラックモアはディープ・パープルを脱退し、自らのバンド『リッチー・ブラックモアズ・レインボー』を結成します。

 この時にリッチー・ブラックモアはロニー・ジェイムス・ディオが所属していたバンド『エルフ』のギタリスト、スティーブ・エドワーズを除いたメンバーでレインボーを結成しました。

 リッチー・ブラックモアの性格上ツインギターはないであろうが、それにしても仲間外れにされたスティーブ・エドワーズは可哀想だな…

デビューアルバム発売後に楽器隊は全員クビ!

 レインボーはデビューアルバム『銀嶺の覇者』を発表します。

 『銀嶺の覇者』のレコーディング期間は1975年2月20日から同年3月14日までです。これは先にレコーディングが終了していた『ブラック・シープ・オブ・ザ・ファミリー』と『16世紀のグリーン・スリーブス』を除いたアルバム全9曲中の7曲の制作期間となります。

 先程レインボーに参加させて貰えなかったスティーブ・エドワーズが可哀想と記しましたが、ベース、ドラム、キーボードの楽器隊もデビューアルバム発売後、ソッコーでクビになります。

 これ、タカミックス的に不思議だったんですね。だって一度もライブをせずにクビですよ? 後継メンバーを考えれば首を切られるのも納得せざる得ない状況だったのですが、せめて一度くらいライブをしてからでも… と思っていました。

 しかし後日談を聞いて納得したのですが、実際は何と楽器隊は全員レコーディング時にリッチー・ブラックモアの譜面と指示通りに演奏していただけだったんですね。

 しかし仮にもそれまでプロミュージシャンとして演奏してきたメンバーが、それぞれ自分のプレイに対してダメ出しをされて1から指導されるって屈辱だよな…

エルフメンバーのその後

 さて、ソッコークビになってしまったエルフの楽器隊ですが、果たして本当に実力がなかったのでしょうか?

その前に…

 レインボーをクビになったエルフの楽器隊の前にですね、有名になってからのリッチー・ブラックモアが他のギタリストと共演したのって見たことあります?

 タカミックスが知る限りでは1984年12月、オーストラリアのシドニーでの再結成ディープ・パープルのライブにて、飛び入りでジョージ・ハリスン(ジョン・ロード、イアン・ペイスと仲が良いらしい)と『ルシール』をジャムったくらいです。

まさかのジョージ・ハリスン

 なのでエルフのギタリストであったスティーブ・エドワーズはレインボーに誘って貰えなかった以前に、元々リッチー・ブラックモアってツインギターに向かない性格なんだと思います。

スティーブ・エドワーズはヘタだったのか?

 そのリッチー・ブラックモアに声さえかけて貰えなかったスティーブ・エドワーズですが、果たして彼のギターは本当に下手くそだったのでしょうか?

スティーブ・エドワーズ

 スティーブ・エドワーズはサザンロック&ブギ的なアプローチをするギタリストです。

 レインボーの『銀嶺の覇者』はハードロック(と呼ぶには少しおとなしめの印象だったが…)でしたが、実はエルフ自体の音楽性は、どちらかと言うとカントリー・ブルース&ブギっぽいジャンルだったんです。

 そのエルフをプレイ面で引っ張っていたのが、途中加入とはいえ(エルフのデビュー時ギタリストはデヴィッド・フェンスティンでロニー・ジェイムス・ディオの従兄弟)スティーブ・エドワーズとドラムのゲイリー・ドリスコールだったそうです。

 なのでバンドをプレイ面で引っ張って行く実力は持ち合わせていたと思われます。

クレイグ・グルーバーの場合

 ベースのクレイグ・グルーバーですが、果たしてリッチー・ブラックモアが自分でベースを弾いた曲があったほどベースがヘタだったのでしょうか?

 クレイグ・グルーバーはレインボー解雇後にゲイリー・ムーアのツアーバンドのメンバーになったり、意外な所では非常に短期間ではあったのですが、ブラック・サバスのメンバーだったこともあります。

 ブラック・サバスの歴代ベーシストに名を連ねるかは微妙な所なのですが、ロニー・ジェイムス・ディオがブラック・サバスのボーカリストであった時代に、ギターがトニー・アイオミ、ドラムにビル・ワード、そしてベースのクレイグ・グルーバーで『ヘブン&ヘル』のレコーディングセッションまでしているんですね。

 当時はブラック・サバスのベーシストであったギーザー・バトラーがバンドを脱退しており、ベーシストが不在だったのです。

 なのでクレイグ・グルーバーは、ギーザー・バトラーが戻ってこなければブラック・サバスのベーシストになっていたのです。

幻のブラック・サバス

ゲイリー・ドリスコールの場合

 意外と実力者であったのがドラムスのゲイリー・ドリスコールです。彼のリズム&ブルース色が強いドラミングをリッチー・ブラックモアも好んでいたと言う説もあります(逆に嫌った説もある)

ゲイリー・ドリスコール

 また、説明不用のロックドラマー、ジョン・ボーナムとも仲が良かったらしく、タム回しなんかはジョン・ボーナムを連想させるプレイをしています。

 ゲイリー・ドリスコールはロニー・ジェイムス・ディオがクビにしないでくれと懇願し、リッチー・ブラックモアもクビにするか否かを悩んだそうです。

 ただライブ・パフォーマンスへ向けてのリハーサルで上手くプレイ出来なかったとか、リッチー・ブラックモアの好みではあったが、バンドのプレイスタイルに合わなかったとかで、結局レインボーをクビになります。

ミッキー・リー・ソウルの場合

 ミッキー・リー・ソウルは1996年以降にディープ・パープルでのキーボード及ベースの技術者、いわゆるローディーになっていますが、ここではプレイヤーとしてのミッキー・リー・ソウルについてです。

 まず最初に彼はキーボーディーストと言うよりピアニストなんですね。

ミッキー・リー・ソウル

 なのでキーボーディストを欲しがっていたリッチー・ブラックモアのイメージに最初から合致していなかったんです。

 エルフがカントリー系のロックだったのでミッキー・リー・ソウルはキーボードと言うより、ホンキートンク・ピアノ系統の演奏をしていたのです。

 なのでミッキー・リー・ソウル本人が『銀嶺の覇者』のレコーディング時からレインボーが求めるキーボーディストでないことを理解していたそうです。

 『銀嶺の覇者』後にエルフの楽器隊はリッチー・ブラックモアによって全員クビになったと記しました。確かにリッチー・ブラックモアは楽器隊全員をクビにする心算でした。

 しかし正確にはミッキー・リー・ソウルだけは『銀嶺の覇者』レコーディング後に別バンドでの仕事があり、自らレインボーを脱退したそうです。

 時系列的には最初にクレイグ・グルーバー、次にゲイリー・ドリスコールがリッチー・ブラックモアからクビ宣告をされます。

 そしてミッキー・リー・ソウルはリッチー・ブラックモアからクビ宣告をされる前に「レインボーを辞めるけんのう… ほなサイナラ!」と自ら脱退宣言をしたそうです。

 タカミックスが知ってる限りだと、2006年発売されたイアン・ギランのセルフ・カバーアルバム『ギランズ・イン』にてピアノを弾いておりますね。

 後は2011年に発売されたロジャー・グローバーのソロアルバム『イフ・ライフ・ワズ・イージー』にてボーカルとして参加してます。

銀嶺の覇者

 最後にレインボーのファーストアルバム『銀嶺の覇者』についてです。原題は『RITCHIE BLACKMORE’S R-a-I-N-B-O-W』ですが、何でアルバム表記でのレインボーの『a』だけが小文字なんでしょうかね?

aだけ小文字

 あとアルバムジャケットに描かれている虹が5色で描かれています。日本では虹を7色で表しますがアメリカやイギリスは6色なんです。なのでレインボーはメンバーの人数に合わせて5色にしたのかな? と勝手に思っています。

 細かいツッコミは置いといて、後年の様式美ハードロックバンドであったレインボーを知っている人からすると、この『銀嶺の覇者』は非常に大人しい曲が多いです。と言うか、肩透かしを食うアルバムです。

マン・オン・ザ・シルバー・マウンテン

 一番いい例がアルバムオープニングの『マン・オン・ザ・シルバー・マウンテン』ではないでしょうか? この曲、タカミックスもアルバム『銀嶺の覇者』で最初に聴いた時にピンと来なかった曲でした。

 それがライブ版『レインボー・オン・ステージ』で聴いた時に余りのパワフルさに打っ飛びました。ドラムがコージー・パウエルだったのでパワフルさに磨きが掛っていたのもありましたが、マン・オン・ザ・シルバー・マウンテンの楽曲自体は悪くないんですよね。 

 なので様式美バンド・レインボーを期待して聴くと『銀嶺の覇者』では微妙なイメージを抱いてしまう、と言うのが正直な所ではないでしょうか?

そして首切り伝説が始まる

 このファーストアルバム発売後にリッチー・ブラックモアはボーカル以外のメンバーを一新します。そして今だに“レインボーと言えば”と評される三頭政治時代へ突入して行くのです。

つづく

声掛けられなかったらレースに出てたんだぜ?
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