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ランディー・ローズの事故死とリッチー・ブラックモア。何の関係もなさそうでチョットだけ話題になった話。

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レインボーツアー・バス運転手

 まずはランディー・ローズではなくリッチー・ブラックモアの話から。 

 リッチー・ブラックモア(以下リッチー)率いるレインボーにジョー・リン・ターナー(以下ジョー)が在籍していた1982年の話となります。

 レインボーのツアーでバス移動の場合はバンドメンバーとスタッフや機材を乗せるバスが分かれていました。そしてリッチーだけはバンドメンバーが乗るバスではなく、スタッフや機材を乗せるバスで移動していました。リッチーは気難しい所があり、バンドメンバーとの馴れ合いを嫌っていたので乗り合わせるバスも分けていたのです。

 しかしアメリカでのツアー中、ある日リッチーがバンドメンバーに「みんなこっちのバスで行かないか?」と、リッチーが乗るスタッフや機材を乗せる方のバスに誘いました。

 ツアーバスが目的地に到着後、今日に限ってリッチーが自分が乗る方のバスにメンバー誘ったのか気になったジョーは直接リッチーに理由を聞きました。

 リッチーは「お前らが乗るバスの運転手に死相が出てたんだ」と答えました。

 それを聞いたジョーは「考え過ぎだよ、現にどちらのバスも無事目的地に到着したじゃないか?」と笑ったそうです。

リッチー=独裁者?

 若干話が逸れますがリッチー・ブラックモアは今でこそ落ち着いた爺さんですが、彼はパープル時代はもとより、レインボー時代は首切り魔と恐れられる程の独裁者でありました。

 レインボー結成時には「俺はバンドの1/5だ!」と言っときながら、ファーストアルバム発表後に自分とボーカル以外のメンバーを全てクビにすると言う暴挙に出ます。初っ端から何処がバンドの1/5なんだよ! とのツッコミを受けています。

 そんなリッチーはバンドでの演奏能力が低ければクビ! バンドをポップ化させようとして反対したメンバーはメンバーはクビ! 何気にブサイクはクビ! そしてライブで延々と続けるギターソロを止める合図はドラマーに対して首切りポーズ! と、まるで自分が独裁者や首切り魔と呼ばれているのを知っているのか? と思える行動を取っておりました。

ギターソロやめるぞ! (首切りポーズ)

 また独裁者リッチーはイタズラ好きでもありました。が、これがイタズラの度を越していルのです。

 自分の排○物をメンバーの部屋に置いてくるなどは可愛い方です。ある時はコンサートの主催者を裸にしてステージの天井からぶら下げた中でライブをしてたりします(実際に写真もある)

 それイタズラじゃないよね?

黒魔術信仰?

 他にリッチーは黒魔術も信仰していました。

 もっともコレは当時の流行りみたいなもので、ジミー・ペイジの様なガチな黒魔術の信仰具合ではなかったそうです。

黒魔術

 そんなオカルティックな要素満載のリッチーがツアーバスの運転手に「死相が出ている」と言ったのでした。

その運転手とは

 さて、リッチーに「死相が出ている」と言われたツアーバスの運転手ですが、タイトルにランディー・ローズと振っているので詳しい人ならお分かりになると思います。

 そのツアーバスの運転手がアンドリュー・アイコック(以下アイコック)でした。

ランディー・ローズ

 ここでは簡単にランディー・ローズについて。

 オジー・オズボーンのバンドの初代ギタリストであり、クラシックギターの素養を持っております。

クラシックギター
クラシックギター

 同時期に活躍したエドワード・ヴァン・ヘイレンがアメリカナイズされた明るさを前面に打ち出しているのに対し、ランディー・ローズはヨーロッパ的なクラシカルな響きを打ち出しています。

 演奏カラーの違うギタリストですが、どちらもアメリカ人です(エディは7歳まではオランダ人だったが…)

コンサート会場

 アイコックはレインボーのツアー後、オジー・オズボーンのツアーバスの運転手として働いていました。

 ある日、オジー・オズボーンバンドのツアーでアメリカ合衆国テネシー州ノックスビルから、次コンサート会場であるフロリダ州オーランドまでの移動となりました。

 この時のオジーバンドで使用していたツアーバスのエアコンが故障しており、その修理のためバージニア州のリーズバーグへ移動しました。リーズバーグにはツアーバス会社が所有する施設があったからです。

 アメリカ合衆国は広いのでツアー移動と聞いてもピンとこないかもしれませんが、本来の移動ルートであったテネシー州ノックスビルからフロリダ州オーランドまでの車移動で9時間以上掛かります。

 今回のテネシー州ノックスビルからバージニア州リーズバーグまでの車移動も7時間以上です。

 またバージニア州リーズバーグからフロリダ州オーランドまでは車移動12時間以上と凄まじい時間が掛かります。

 アイコックはノックスビルでのライブが終わった後、オジーのバンドメンバーやスタッフを乗せ、夜通しバスを運転し、早朝にリーズバーグへ到着しました。

距離

まさかの無免許&無許可!

 リーズバーグにあるツアーバス会社の施設には小型ヘリコ・プターや小型飛行機に加え滑走路までありました。

 施設にあったヘリコ・プターや小型飛行機を見たアンドリュー・アイコックは所有者に無許可で小型飛行機を飛ばします。

 一説にはドン・エイリーがアイコックに飛行機は飛ばせるかと聞いたそうです。アイコックはドン・エイリーの問い掛けに「もちろんさ!」と答えました。

 小型飛行機を飛ばすくらいだからアイコックはパイロットの免許を持っていたのでしょうか? その答えはパイロット免許は持っていた、が正解です。

 なぜ過去形かと言うと、彼は1976年にパイロット免許を失効してからです。(ただアイコックのパイロット免許がないことはオジーの妻でマネージャーのシャロン・オズボーンは知ってたらしい…)

 パイロットとして無免許の時点で信じられんのだが、さらに所有者に許可も取らず小型飛行機に乗るって感覚が全くもって信じられない! この辺のアバウトさはアメリカ人特有の物なのでしょうか?

 そんな訳ないですよね、単にアイコックがダメ人間だったと言うことでしょう。

コクピット

クレイジー飛行

 施設に置いてあった小型飛行機をアイコックは意気揚々と運転します。

 アイコックはその場にいる人間にフライトに参加しない? かと声をかけますが、エアコン修理の待ち時間をバンドメンバーやスタッフはツアーバス内での昼寝(朝寝か?)に当てました(夜通しじゃ眠いよね)

 アイコックは最初にツアーマネージャーとドン・エイリーを乗せてフライトします。その飛行中にアイコックはフライトに参加しなかったメンバーやスタッフへの腹いせか、元来の性格かは分かりませんが、フライト中に低空飛行をさせてツアーバスに近付き、スレスレの高さを飛びバス内で寝ていて連中を叩き起こそうとしました。

 ランディー・ローズは2回目のフライトに搭乗します。しかし初回のフライトでの曲芸飛行を見せられたランディーは自分のフライト時に「クレイジーな飛行は止めてくれ」とアイコックに頼みます。

 ランディは小型飛行機自体に興味はなかったのですが、母親のためにリーズバーグでの航空飛行写真(リーズバークは田舎街である)が撮りたかったそうです。

リーズバーグ

誘われた人

 なおランディの友人であるベーシストのルディ・サーゾもフライトに招待されましたが「バスで寝かせてくれ」と断りました。

事故発生

 アイコックは危険な運転はしないと約束しましたが、その約束を反故し何度もバスの側を低空飛行します。

 そしてフライト中3度目の低空飛行の最中に軽飛行機の翼がバスに当たり制御できなくなった小型飛行機はガレージに激突し爆発、炎上してしまったのです。

墜落!

 この小型飛行機の事故によりランディ・ローズは25歳と言う若さでこの世を去ることになってしまったのです。

 墜落現場を見たドン・エイリーによると、飛行機がバスに打つかる直前、ランディ・ローズとアイコックがコクピット内で言い争っていたと証言しております。

 ランディー・ローズが亡くなってしまったので確認はできませんが、ランディはアイコックに危険な飛行を止めさせようとしていたのでしょう。

アンドリュー・アイコック

 この小型飛行機の墜落、爆発、炎上事件を起したアンドリュー・アイコックは素行不良のジャンキーであり業界内では相当な問題児だったそうです。

 ジャンキーであったアイコックは今回のテネシー州からバージビア州までの移動の際、何とコカ○ンでラリったままバスを運転していたのです。

コ○イン

 アイコックはジャンキー、無許可での小型飛行機運転、無免許運転と恐ろしいトリプルパンチを咬ましてくれたのです。

嫁さん?

 この時アイコックには離婚した妻がいましたが、この妻との和解が上手くいかなくて悩んでたとも言います。なので実は小型飛行機での墜落事故は自暴自棄になっての自殺だったのでは? とまで言われたこともありました。

 元嫁との不和、不眠、コカイン、無免許と良くここまで負の要素を溜め込んだな、と思いますが少しも同情できません。

その時オジーは?

 この小型飛行機事故が起きた時にオジー・オズボーンは誘われていなかったのでしょうか? この件に関しては後年オジー自身がインタビューで答えております。

 「あいつは俺の体調を思って敢えて起こさなかったんだ。もし誘われていたら迷いなく一緒に乗っただろう。ランディの優しさで俺は命拾いしたんだ」

 この時オジー・オズボーンは疲れのためバスの後部座席で寝ていたそうです。そんなオジーに気を遣ってランディはオジーに声を掛けなかったのでした。

何故かリッチーの話は出ない

 この様な悲劇のギタリスト、ランディ・ローズ。しかし不思議とリッチーの死相の話は出てきません。

 1982年に起きたランディ・ローズの小型飛行機事故はリッチーが死相が出ていると言った数日後の話だったのです。

 マスコミの報道規制なんかある訳ないし、言葉は悪いですがある種リッチーの神秘性に繋がる話しだと思うんですがね。

御冥福を

 不幸な事故で生涯を終えたランディ・ローズ。

 タカミックスも『Diary of Ma不世出dman』のギターソロ前のリフには聴いていて身震いを覚えた物でした。

 そんな不世出の天才ランディー・ローズへ、謹んで御冥福をお祈りします。

おしまい

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