皆さん、ご機嫌よう! タカミックスです。今回はロニー・ジェイムス・ディオがボーカルだった時代、最強と言われていた第二期レインボーから、アルバム『バビロンの城門』が出る第四期レインボーに至るまでのメンバー変遷についてです。
それでは行ってみまShow!
首切り伝説
レインボーは三等政治によって隆盛を極めていたように見えました。
事実イギリス本国におけるヒットチャートでは、ライブ版でありながら『レインボー・オン・ステージ』が初のアルバムチャートのトップ10入りを果たしています。
| アルバム名 | 英チャート最高位 | 米チャート最高位 |
|---|---|---|
| 銀嶺の覇者 | 11位 | 30位 |
| 虹を翔る覇者 | 11位 | 48位 |
| レインボー・オン・ステージ | 7位 | 65位 |
しかし、リッチー・ブラックモアはベースとキーボードに満足が行ってなかったらしく、早々にメンバー交代を試みます。
ジミー・ベイン脱退(クビ)
最初に脱退(クビ)になったのはジミー・ベインです。
このリッチー・ブラックモアという人間は「クビ切り狂」と形容されたほど、気に入らなければメンバーをどんどん入れ替えるバンドリーダーだった訳です。
そのジミー・ベインは後年のインタビューにて、自分がレインボー脱退の引きがねとなったのは「ベースのチューニング事件」が理由だったと言っています。
ライブ中にリッチー・ブラックモアは頻繁に「お前のベース、チューニング狂ってるぞ」とジミー・ベインに突っかかってきたそうです。
ジミー・ベインは自分のベースチューニングに問題がないので、受け流していたのですが、ある晩とうとう堪忍袋の緒が切れ、「黙れ! もう一度同じことを言ったら、このベースをその口に突っ込んでやる」と怒鳴り返したらしく、
その時のリッチー・ブラックモアは酷く狼狽していたと言っています。
そして、その事件をきっかけにリッチー・ブラックモアはジミー・ベインをクビにしたそうです。
イタズラ好きのリッチー・ブラックモア①
ジミー・ベインの証言(いや、それ以外の人たちもなんだが)によるとリッチー・ブラックモアは悪ふざけが激しい人で、周囲からするとほとんど「恐怖」の対象だったそうです。
有名なエピソードとして、ツアー中のホテルで、ジミー・ベインが寝ているベッドにリッチー・ブラックモアが火を点けた、という話があります。普通の感覚からすれば完全に度を越した… ではなくて放火という犯罪です。
それでもジミー・ベイン本人は「いじめられていた訳ではない」と語っています。
因みにホテルからは、しっかりと賠償請求をされています。
まさかのNTR説
ジミー・ベインのバンド脱退には実は凄い話があってですね、何とジミー・ベインがリッチー・ブラックモアの彼女をNTRしてしまった説があるのです。
この話は最近のジミー・ベインのレインボー脱退理由で出てこなくなったのですが、一昔前までジミー・ベイン自身がのインタビューで語ってた話なんですよね。
これが本当ならリッチー・ブラックモアは音楽性が合わなかった等でジミー・ベインをクビにした訳ではなく、完全に私情でクビにしたということになります。
トニー・カレイ脱退(クビ)
トニー・カレイの脱退(クビ)は、リッチー・ブラックモアとバンド状況が絡み合い、一悶着あった上での脱退劇でした。
まず前提として、レインボー内部ではRisingのツアー中に「トニー・カレイはクビ」と決まっていました。
リッチー・ブラックモアはトニー・カレイに満足しておらず、解雇の意思を固めていました。なのでキーボーディストのオーディションしたが後任は決まらず、結果としてトニー・カレイの解雇は「いったん保留」となり、バンドは不安定な状態のまま動いていたのです。
脱退に向かった理由として大きいのは、トニー・カレイが必要以上に目立とうとしていたことが、リッチー・ブラックモアの反感を決定的に強めていたと言われています。
またトニー・カレイの物言いの強さやスタジオでの態度、さらにトニー・カレイ本人の度を超したド○ッグの悪癖があったことも脱退の理由となっています。
ただし、ここで見落とされがちなのは、トニー・カレイが「腕がないプレイヤー」だった訳ではない点です。むしろ臨機応変に場を繋げるタイプの演奏家であったと言われています。有名なのは「Mistreated」中盤のギターソロで機材トラブルが起きてしまい、トニー・カレイがキーボードで“代打ソロ”を成立させたこともありました。
少なくとも「現場対応ができないから切られた」という単純な理由ではなかったのです。
イタズラ好きのリッチー・ブラックモア②
トニー・カレイに対してのリッチー・ブラックモアのイタズラもエスカレートしていた、という話も有名です。ただ、その実態は「イタズラ」という言葉で済ませるには危険で、犯罪的ないじめだったのです。
たとえば、巨大な●●コを入手して一つを枕の下に、もう一つを照明器具に仕込み、トニー・カレイの部屋を強烈な臭いで満たした、というエピソードが伝えられています。下品というだけでなく、相手の尊厳を狙って折るタイプの悪意です。
ただ、この話の続きは更に凄く、そのウ●●の強烈な臭いすら分からないほどトニー・カレイはド○ックでブッ飛んでおり、何の気にもせずそのまま眠り込んだたという、仕掛ける方も仕掛けられた方も、どっちも最低最悪な人間という結果となっています。
とは言え、トニー・カレイはリッチー・ブラックモアと、それを面白がって加担していたコージー・パウエルからのイジメが重なったことで精神を病み、「バンドに殺される」と父親に電話し、夜逃げのように消えて行ったそうです。
キーボード・オーディション〜結局決まらず
トニー・カレイのクビは決定事項であったため、早い段階から行われていたキーボーディストのオーディションですが、どんな人間が参加していたのでしょうか?
エディ・ジョブスン
キーボード・オーディションの参加者の中には、エディ・ジョブスンがおりました(ただ、この人も非常に我が強い)。
1977年当時のエディ・ジョブスンは、すでにロキシー・ミュージックやフランク・ザッパのバンドで活動しており、強い個性を持つリーダーの下で演奏することには慣れていました。この頃は後年に見られるような、周囲を押しのけてまで主導権を握ろうとする人物ではなかったと思われます。
演奏技術については、候補者の中でも申し分なく、キーボードだけでなくヴァイオリンも演奏でき、クラシック音楽の素養と複雑なアレンジへの対応力を持っていました。「スターゲイザー」や「バビロンの城門」のような曲には、非常に相性の良い奏者だったのではないでしょうか?
とは言え、バンドの主導権を握ろうとせずとも、エディ・ジョブスンは単なる伴奏者として後方に収まるタイプではなかったでしょう。音色や編曲を細かく作り込み、自分の考えを音楽に反映させる能力も意欲も持っていたので、演奏面において、唯我独尊のリッチー・ブラックモアと、エディ・ジョブスンの間で衝突が起きる可能性が非常に高かった気がします。
技術不足で不採用になる人物ではなく、むしろ演奏家としての存在感が大きすぎる人なんです!
ジョー・ヴェスコヴィ
イタリアン・プログレッシブ・ロックバンド『the trip』のバンドメンバーであったジョー・ヴェスコヴィの名前も、新キーボーディストの候補に上がっていたそうです。

なんでイタリア?と言う方も多いのではと思いますが、コレはリッチー・ブラックモアがディープ・パープルを結成する前、幾多のセッションをこなしていた時代、イタリアに渡ってレコード・デビュー前の the tripのオリジナル・メンバーとして加入していた時代があったからです。
しかしリッチー・ブラックモアは数カ月でthe tripを脱退してしまい、レコードとしてはそのプレイは残っていませんが、リッチー・ブラックモア在籍時のthe tripの写真は残されています。
そのリッチー・ブラックモアの後任としてthe tripに加入したのが、キーボーディストのジョー・ヴェスコヴィだったのです。
そのジョー・ヴェスコヴィですが、Rainbow Rising Tourにリッチー・ブラックモアからバンド加入の打診があったそうです。
ジョー・ヴェスコヴィはすぐにデモ音源をへ送り、リッチー・ブラックモアはそれを大層気に入ったそうです。
さらに、コージー・パウエルもジョー・ヴェスコヴィと直接話し合い、意気投合したと言われています。
そんなリッチー・ブラックモアとコージー・パウエルという両巨頭に認められジョー・ヴェスコヴィはレインボーとのセッションを行ったそうです。
しかし、この時にジョー・ヴェスコヴィはリッチー・ブラックモアの相違を強く認識し、自ら離脱したと言います。
ジョー・ヴェスコヴィは当時のリッチー・ブラックモアを「変わり者」「不思議な人」「気分が不安定」「寝て起きると気が変わる」と形容していました。
一方でリッチー・ブラックモアも「ジョー・ヴェスコヴィの音はクラシカルすぎる」「時にプログレすぎる」「音楽性が違った」と、お前はジョー・ヴェスコヴィのデモを評価していたのでは?と思いましたが、セッション後にはこのような評価したそうです。
新ベーシスト編
晴れてジミー・ベインがクビとなり、レインボーの新ベーシストには誰がついたのでしょうか?
公式では載っていない、まさかのクレイグ・グルーバー
さて、ここで非常に面白い話があります。ジミー・ベイン解雇後、レインボーの新ベーシストとしてリハーサルに参加したメンバーが、何とクレイグ・グルーバー!
言わずと知れた(?)レインボーの初代ベーシストであります。
そのクレイグ・グルーバーはロニー・ジェイムス・ディオから声を掛けられ、数日間はレインボーと共にセッションを行なっていたそうです。再加入したクレイグ・グルーバーでしたが、相も変わらず我が道を行くリッチー・ブラックモアとの音楽性が合わず脱退(?)となっています。
ただし、クレイグ・グルーバー自身はコージーパウエルとプレイできたことは非常にエキサイティングだった、と回想しております。
何気にこの人、ロニー・ジェイムス・ディオのお気に入りだったんですかね?
後年同じようにロニー・ジェイムス・ディオから声を掛けられ、ギーザー・バトラーが脱退したブラック・サバスで(幻の)新メンバーとなっていました。
マーク・クラーク
マーク・クラーク
公式ではジミー・ベインが解雇された後、正式メンバーとしてレインボーに加わったのがマーク・クラークとなっています。
マーク・クラークは、コロシアム、ユーライア・ヒープ、テンペスト、ナチュラル・ガスなどで活動してきたイギリス人ベーシスト&シンガーです。
ハードロック一辺倒のベーシストというより、ジャズ・ロックやプログレッシブ・ロックなどの要素も持ったプレイヤーで、どちらかというとジャズ・フュージョン系のニュアンスを感じさせる、テクニカルなベースを得意としていました。
ジミー・ベイン脱退後のレインボーに加入したマーク・クラークは、その後約2ヶ月間にわたり、レインボーのメンバーとしてアルバム『バビロンの城門』のレコーディングに参加していました。
しかし、ここで問題となったのがリッチー・ブラックモアとの音楽的な相性だったのです。
マーク・クラークは比較的音数の多いベースラインを弾くタイプだったのに対し、リッチー・ブラックモアは、よりシンプルに楽曲を支えるベースを求めていました。
そのためリッチーはマーク・クラークのベースプレイを気に入らず、最終的にはマーク・クラークがレコーディングしたベースパートをすべて削除してしまったとのこと。
こうしてマーク・クラークのレインボー在籍期間は非常に短いものとなり、アルバム完成までメンバーとして残ることはありませんでした。
実績のあるベーシストでありながら、リッチー・ブラックモアが求めるレインボーのベーススタイルとは合わなかったという、レインボーの数多いメンバーチェンジの中でも少し異色の存在といえるでしょう。
まぁ、確かに音数の多いベーシストではある。
そしてボブ・デイズリーに
最終的にレインボー(第四期)の新ベースストにはボブ・デイズリーが決定し、アルバム『バビロンの城門』の中でも数曲のレコーディングを行うこととなりました。

このようにレインボーのお家芸となっているメンバー交代ですが、タカミックスは第二期レインボーからグラハム・ボネットが加入する第五期レインボーまでの間が、一番レインボーがゴタゴタしていた時期なのでは?と勝手に思っております。
そんな第四期レインボーでレコーディングが行われたアルバム『バビロンの城門』でも様々なトラブルが発展していくのです…
つづく